改訂新版 世界大百科事典 「ムスリム五王国」の意味・わかりやすい解説
ムスリム五王国 (ムスリムごおうこく)
15世紀末から16世紀初めにかけて,インドのデカンに成立したムスリムの五つの王国。14世紀半ばにデカンに成立したバフマニー朝は15世紀末ごろ衰退し,各地の総督は次々と独立していった。その五王国は次のとおりである。(1)ベラール州総督ファトフッラー・イマードル・ムルクのイマード・シャーヒー`Imād Shāhī王国(1484-1572),(2)ベルガウム州総督ユースフ・アーディル・ハーンのアーディル・シャーヒー`Ādil Shāhī王国(1489-1686),(3)ダウラターバード州総督のアフマド・ビン・ニザームル・ムルクのニザーム・シャーヒーNiẓām Shāhī王国(1489-1636),(4)テレンガナ州総督スルタン・クリー・クトゥブル・ムルクのクトゥブ・シャーヒーQuṭb Shāhī王国(1512-1687)の4王国がまず独立した。(5)バフマニー朝の王統が断絶した1520年代,同王朝の宰相家だったアミール・バリードがバリード・シャーヒーBarīd Shāhī王国(1528-1619)を建て,ここに五王国が成立した。これらの王国はその支配領域の名を冠して呼ばれることもある。
このうちイマード・シャーヒー王国(ベラール王国)がニザーム・シャーヒー王国(アフマドナガル王国)に併合され,いちばん初めに滅び,バリード・シャーヒー王国(ビーダル王国)も,17世紀初めごろ,クトゥブ・シャーヒー王国(ゴールコンダ王国)とアーディル・シャーヒー王国(ビジャープル王国)とによって分割・併合された。残った3王国は,北から迫ってくるムガル帝国の圧力に抵抗していたが,1636年,シャー・ジャハーン時代のムガル帝国にアフマドナガル王国が併合された。最後に残ったビジャープル王国とゴールコンダ王国は,同年シャー・ジャハーンに対し,ムガル皇帝の至上権を認めること,および毎年一定額の貢納を払うことを条件に,いちおう独立を保つことができた。両王国は,相対立しながら,それぞれデカン南部のビジャヤナガル王国崩壊後のヒンドゥー諸小国領に進出し,支配領域を南に延ばしていった。
デカンの五王国の支配体制はバフマニー朝のそれをほとんど継ぐもので,ムガル帝国の支配体制とはかなり違っていたようである。また,とくにビジャープル王国とゴールコンダ王国はシーア派の勢力が強くスーフィーの活動も活発で,17世紀に入ってから徐々にスンナ派の復古的要素が強まってきた北インドのムスリムの思想状況とも,かなり違っていた。2王国とも,早くからポルトガル人などのヨーロッパ人と接触し,17世紀には,オランダ,イギリスなどの東インド会社との貿易,ペルシアとの交易を盛んに行っていた。しかし,ムガル皇帝アウラングゼーブのデカン政策によって,ビジャープル王国は1686年,ゴールコンダ王国は87年にそれぞれ滅びた。
執筆者:小名 康之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報