ヤンセン(読み)やんせん(英語表記)Cornelio Jansen

デジタル大辞泉 「ヤンセン」の意味・読み・例文・類語

ヤンセン(Cornelis Jansen)

[1585~1638]オランダカトリック神学者。死後出版された著書「アウグスティヌス」はローマ教皇により異端とされ、その信奉者は迫害されたが、多くの支持者を得て、ジャンセニスムを生んだ。ヤンセニウス。→ジャンセニスム

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精選版 日本国語大辞典 「ヤンセン」の意味・読み・例文・類語

ヤンセン

  1. ( Cornelis Jansen コルネリス━ ) オランダのローマ‐カトリック神学者。イエズス会を批判、厳格な倫理的生活を主張した。ヤンセン派の祖。その著「アウグスティヌス」はローマ教皇によって異端とされ、迫害された。(一五八五‐一六三八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤンセン」の意味・わかりやすい解説

ヤンセン
やんせん
Cornelio Jansen
(1585―1638)

オランダのカトリック神学者。ユトレヒトとルーバンの大学で学び、1619年神学博士の学位を取得、1630年からルーバン大学で教壇に立ち、聖書を講じた。1636年イープルの司教に任命されるが、18か月後に死去した。

 当時、宗教・思想界では、恩寵(おんちょう)と予定の問題が激しい論争をよんでいた。この問題をめぐり、カトリック、プロテスタントを問わず多くの人々は、アウグスティヌスの権威に訴えているが、ヤンセンは、あまりに多くの人々がこの聖人の名のもとに、真実でない説を主張していると考え、恩寵に関するアウグスティヌスの真の考えを研究しようと決心する。その結果、恩寵を重視して人間の自由意志を否定し、神の予定を認めるに至った。22年間にわたる研究の成果として死の直前に完成、死後出版された主著『アウグスティヌス』(1640)は、多くの人に読まれ、フランスをはじめヨーロッパに広がるジャンセニスム(ヤンセン派)を生み出すこととなり、イエズス会との激しい論争をよび、ヨーロッパ宗教界に波瀾(はらん)を巻き起こした。

[大谷啓治 2017年12月12日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ヤンセン」の意味・わかりやすい解説

ヤンセン
Cornelis Jansen
生没年:1585-1638

スペイン領フランドル(現在のベルギー)のカトリック神学者。ラテン名ヤンセニウスCornelius Jansenius,フランス名ジャンセニウスJansénius。現オランダ領アコイの生れ。ルーバンさらにパリで学ぶが,そこでサン・シランと親交を結び,2人で聖書と教父の著作の研究に専心する。1617年祖国に戻り,ルーバン大学教授として研究,教育,大学行政に活躍し,36年にはイーペルの司教に任じられ,同地に没した。死後出版された主著《アウグスティヌス》(1640)において,イエズス会に代表される人間中心主義的神学とくにモリニスムに対抗して,神の絶対性を強調したアウグスティヌスの恩寵論を復興することを試みたが,これが激しい論争を引き起こし,彼はジャンセニスムの理論的始祖とみなされるに至った。ほかに《モーセ五書注解》《四福音書注解》,三十年戦争におけるフランスの対外政策を厳しく批判した《フランスの軍神》等の著作がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤンセン」の意味・わかりやすい解説

ヤンセン
Jansen, Willem

[生]?
[没]1636.4. アルクマール
オランダ東インド会社遣日特使。かねてオランダ商船隊司令官として日本にしばしば来たことがあるが,バタビアの船隊装備主任であった 1629年とその翌年の2度,タイオワン事件 (浜田弥兵衛事件) で人質となったオランダ船乗組員の釈放と閉鎖された日蘭貿易の再開を江戸幕府に出願する特使として来日した。第2回目のときは,31年5月4日から 32年 11月 22日まで辛抱強く江戸で交渉を続け,東インド総督が事件の責任者の前タイオワン長官 P.ノイツを人質として日本に送ったことによって事件はようやく解決した。 33年帰国船隊の副司令官となり,34年6月会社の取締役会議と,オランダの議会で報告のうえ引退した。滞日中の日記が『平戸オランダ商館の日記』第2集 (永積洋子訳) に収められている。

ヤンセン
Janssen, Johannes

[生]1829.4.10. クサンテン
[没]1891.12.24. フランクフルトアムマイン
ドイツの歴史家。 1854年フランクフルトのギムナジウム教授,60年司祭,75年プロシア下院議員。カトリック教会の立場から,宗教改革はドイツの社会組織崩壊を導いたと主張したため,H.デルブリュックらのプロテスタント派歴史家に激しく攻撃された。主著『中世末以来のドイツ国民史』 Geschichte des deutschen Volkes seit dem Ausgang des Mittelalters (8巻,1876~94) 。

ヤンセン
Janssen, Peter Johann Theodor

[生]1844. ジュッセルドルフ
[没]1908. ジュッセルドルフ
ドイツの画家。ジュッセルドルフ美術アカデミーで学び,1875年同校教授,85年ベルリン美術アカデミー教授。風景画,歴史画,肖像画のほか,公共建物の壁画や室内装飾も手がけた。

ヤンセン
Janssen van Ceulen, Cornelius

[生]1593. ロンドン
[没]1664頃
オランダの画家。イギリスのチャールズ1世の宮廷で肖像画家として活躍,のちオランダに帰った。暗い背景に浮き出すような細密な筆致の作品を残した。主要作品は『チャールズ1世像』『ジョン・ミルトン像』。

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百科事典マイペディア 「ヤンセン」の意味・わかりやすい解説

ヤンセン

フランドルの神学者。ラテン名ヤンセニウスCornelius Jansenius。ルーバン大学教授,イープル司教。死後出版された主著《アウグスティヌス》(1640年)は異端とされたが,その思想はジャンセニスムとして友人サン・シランらによって継承された。著作にはほかに《モーセ五書注解》《フランスの軍神》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ヤンセン」の解説

ヤンセン Janssen, Willem

?-1636 オランダの外交特使。
寛永5年浜田弥兵衛事件で断絶した日蘭貿易を再開するため,6年(1629)に来航。7年から9年まで江戸に滞在し,交渉の末に貿易再開をゆるされた。1636年4月死去。ヤンスゾーン(Janszoon)とも。

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20世紀西洋人名事典 「ヤンセン」の解説

ヤンセン


ジャンセンをも見よ。

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世界大百科事典(旧版)内のヤンセンの言及

【ジャンセニスム】より

…17,18世紀フランスの宗教,政治,社会に大きな影響を及ぼした宗教運動。字義どおりには神学者ヤンセン(フランス名ジャンセニウス)が主張し,ローマ教皇によって断罪された恩寵に関する教義を指すが,ヤンセンの支持者たち(ジャンセニスト)はそのような意味におけるジャンセニスムは実体のない幻影であるとして,教会当局さらには国家権力に抵抗した。したがってジャンセニスムは,たんにヤンセンの教説の枠を越えて,いわゆるジャンセニストたちの信仰,思想,行動の総体を指す呼称である。…

※「ヤンセン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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