現代外国人名録2016 「ピエールリトバルスキー」の解説
ピエール リトバルスキー
Pierre Littbarski
- 職業・肩書
- サッカー指導者
- 国籍
- ドイツ
- 生年月日
- 1960年4月16日
- 出生地
- 西ドイツ・ベルリン(ドイツ)
- 経歴
- 5歳からサッカーを始め、ベルリンのアマチュアチームを経て、1978年ブンデスリーガの名門1FCケルンに入団。軽快なステップとスピードあるドリブルで頭角を現わし、長く主将も務めた。’80年代は西ドイツ代表の中核としてW杯に3回出場、’82年スペイン大会と’86年メキシコ大会で準優勝、’90年イタリア大会で優勝し世界一の原動力となった。15年間でブンデスリーガ406試合出場、116得点。’93年Jリーグのジェフ市原(現・ジェフ千葉)に入団。’94年12月現役引退を発表後も日本に残り、スーパーバイザーとして同チーム下部組織の育成部コーチングや、ジュニアユースチームの指導にあたった。’95年12月JFLのブランメル仙台で現役に復帰し、全権プレーイングマネジャーを務める。’97年2度目の選手引退。’98年10月日本で監督になるために必要なS級コーチライセンスを、外国人として初めて取得。’99年横浜フリューゲルス再建協議会(現・横浜フリエスポーツクラブ)が設立した市民株主の横浜FC監督に就任。6月JFL第1ステージ優勝、11月第3ステージで優勝し、総合優勝。2000年チームをJFL連覇に導く。2001年1月ブンデスリーガのレバークーゼン・コーチを経て、6月同2部のデュイスブルク監督。2003〜2004年再び当時J2の横浜FC監督。2005年2月オーストラリアでプロリーグが誕生するのに合わせて創設されたシドニーFCの監督に就任、6月オセアニアクラブ選手権優勝に導く。2007年アビスパ福岡監督となり、Jリーグに復帰するも、2008年7月成績不振により解任。2010年ブンデスリーガのウォルフスブルクコーチとなり、2011年2月から暫定監督を務めた。愛称リティ。1995年日本人女性と結婚。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報