フォルムロマヌム(その他表記)Forum Romanum

改訂新版 世界大百科事典 「フォルムロマヌム」の意味・わかりやすい解説

フォルム・ロマヌム
Forum Romanum

古代ローマの都にあった公共広場(フォルム)。イタリア語ではフォロ・ロマーノForo Romano。前7世紀カピトリヌス,パラティヌス,クイリナリス,エスクイリヌスの四つの丘に囲まれた低地を整備して広場の形にしたもの。王政時代は商業活動の中心地であったが,共和政時代に入るとサトゥルヌス神殿カストルポルクスの神殿が建設されることによって,またロストルムrostrum(雄弁家のための演壇)に十二表法が表示されることにより,宗教的・政治的活動の中心となる。前2世紀,その周辺にバシリカ・アエミリアなどの市場が造られたことにより,この広場は政治・行政上の機能のみを有することになる。そして,前1世紀後半になると,コミティウム,クリア(元老院),バシリカ・ユリアなどが広場を囲み,帝政時代には,広場が担っていた実際的機能はその北側に造られた皇帝広場に移されてローマ帝国の象徴的広場となった。
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百科事典マイペディア 「フォルムロマヌム」の意味・わかりやすい解説

フォルム・ロマヌム

ローマのカピトリヌス,パラティヌス,クイリナリス,エスクイリヌスの四つの丘に囲まれた低地に設けられたフォルム。イタリア語ではフォロ・ロマーノForo Romano。周囲には神殿その他各種の公共建築が建てられた。王政時代に市場として用いられ,共和政時代から公民会場として政治,宗教の中心となった。中世荒廃。19世紀以後発掘され,現在は円柱や神殿,バシリカの跡がところどころに残る。
→関連項目ローマ(都市)

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世界大百科事典(旧版)内のフォルムロマヌムの言及

【カンピドリオ】より

…ラテン語のカピトリウムCapitoliumから出る。市の中心広場フォルム・ロマヌムの北西側にあり,ローマの将軍は凱旋の際に必ずここに参詣した。神殿は前509年にエトルリア風の形式で建設されて以来,幾度も修復され,なかでも後1世紀半ばには全面的に改築,また東側にはタブラリウム(公文書館)なども付設されたが,3神それぞれを祀る三つのケラ(房室)を持つ独自の平面形式(ウィトルウィウスの言う〈トスカナ式〉神殿)は,そのまま保持され続けた。…

【バシリカ】より

…古代ローマにおいては裁判や市民の集会の場として大規模なバシリカが建てられた。帝政期から古代末期にかけて,ローマ市の中心フォルム・ロマヌムには,カエサル,トラヤヌス帝,マクセンティウス帝らによりバシリカが造営されている。313年にキリスト教が公認されると,それまで個人の住宅で行われていた信徒の礼拝,典礼,集会の場としてバシリカ式建築が用いられるようになり,ローマ市内をはじめローマ帝国領の各地にバシリカ式教会堂が次々と建てられ,また既存のバシリカが教会堂に改装されることもあった。…

【ロストラ】より

…古代ローマのフォルム・ロマヌムにあった演壇。〈船の舳先〉を意味するロストルムrostrumの複数形で,演壇が前338年にアンティウムAntiumからもたらされた舳先で装飾されていたことに由来する。…

【ローマ】より

…奴隷制社会としてのローマの特質というべきかもしれない。 都市空間のための公共設備建設は王政期にさかのぼり,タルクイニウス・スペルブス王時代と伝えられる大排水溝クロアカ・マクシマCloaca Maximaはローマ市北東部の沼沢の水をテベレ川に導いてローマ中央広場フォルム・ロマヌムを誕生させた。つづく共和政期に公共事業はローマ国家の対外進出と軌を一にして飛躍的展開をみせた。…

※「フォルムロマヌム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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