改訂新版 世界大百科事典 「フォールコン」の意味・わかりやすい解説
フォールコン
Constant Phaulkon
生没年:1650ころ-88
タイのアユタヤ朝のナライ王の宮廷に入り,高官として活躍したギリシア人。1669年ころイギリス東インド会社船の給仕となり,タイに渡った。79年,語学の才を認められ通訳としてプラ・クラン(大蔵卿)に仕え,ルアン・ウィチャイジェンの欽賜名を得た。その精力的な仕事ぶりによって王の信任を獲得,数年にして最高位のチャオプラヤーの位に昇り対外貿易を掌握するにいたったが,タイ人の反発を恐れプラ・クランへの正式任命は固辞したという。彼は活発な貿易活動を行うオランダ勢力の膨張抑制策を模索していたナライ王と,カトリックの布教を通じてアジアへの勢力扶植を図ろうとしていたフランス国王との間を仲介する役割を演じたが,88年ナライ王の病気と排外派のクーデタにより失脚し,処刑された。
執筆者:石井 米雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報