フベルトゥスブルクの和約(その他表記)Hubertusburg

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

フベルトゥスブルクの和約(フベルトゥスブルクのわやく)
Hubertusburg

1763年2月ライプツィヒ近郊のフベルトゥスブルクでオーストリアプロイセンの間に結ばれ,ドイツにおける七年戦争終結させた条約。これにより戦前の領土関係が回復されたが,とりわけ,さきのアーヘンの和約でプロイセン領と認められながら,この戦争中オーストリアが奪回していたシュレージエンに対するプロイセンの主権が再確認されたことは重要。そのかわりフリードリヒ2世はオーストリア大公ヨーゼフ(2世)将来神聖ローマ皇帝に選挙される際,これを支持することを約束した。

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関連語 アーヘン

百科事典マイペディア の解説

フベルトゥスブルクの和約【フベルトゥスブルクのわやく】

1763年プロイセン・オーストリア間に結ばれた七年戦争終結の条約。プロイセンはシュレジエン領有を確定し,代りにオーストリア大公ヨーゼフ(後のヨーゼフ2世)を将来の神聖ローマ皇帝として承認した。フベルトゥスブルクHubertusburgは条約が結ばれたライプチヒ近郊の狩猟用の館の名。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フベルトゥスブルクの和約
フベルトゥスブルクのわやく
Peace of Hubertusburg

七年戦争の終結に関して,1763年2月 15日,ライプチヒ近郊フベルトゥスブルクでプロシアとオーストリア間に結ばれた条約。戦前の領土関係が回復され,プロシアのシュレジエン領有が確認され,そのかわり,フリードリヒ2世 (大王) は,マリア・テレジアの子ヨーゼフが帝位につくことを承認した。

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