改訂新版 世界大百科事典 「フラニ王国」の意味・わかりやすい解説
フラニ王国 (フラニおうこく)
19世紀に西アフリカのナイジェリア北部一帯に領域を拡大,繁栄したイスラム神政国家。フルベ族Fulbe(フラニ族Fulani)はニジェール川やセネガル川の上流域で遊牧を営む民族であったが,しだいに東方に移動し,18世紀にはナイジェリア北部のハウサランドHausaland(ハウサ族の居住地)に定着し,イスラムに帰依した。18世紀後半から北部ハウサランドのゴビル王国で活動していたフルベ族の熱心なイスラム指導者ウスマン・ダン・フォディオは,ゴビル王のイスラム信仰を批判し,ハウサ族農民とフルベ族遊牧民とを合体させてジハード(聖戦)を宣言,19世紀初めまでにハウサランド全域を平定した。ウスマンは,東部を息子ムハンマド・ベロに,西部を弟アブド・アッラーフに統治させ,彼自身は学究生活を送った。フラニ王国はイスラム法の原理に従って統治され,ムハンマド・ベロ治下で最盛期を迎えたが,19世紀末になると支配力は減退し,ナイジェリア南部に植民地支配の基地を置いて北進してきたイギリス軍の勢力圏下にはいり,1900年には北部ナイジェリア保護領に組み入れられた。
執筆者:中村 弘光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報