ウスマンダンフォディオ(英語表記)‘Uthmān dan Fodio

改訂新版 世界大百科事典 「ウスマンダンフォディオ」の意味・わかりやすい解説

ウスマン・ダン・フォディオ
‘Uthmān dan Fodio
生没年:1754-1817

19世紀初期,西スーダン地域におけるイスラム改革指導者。スーフィーのイスラム教師・知識人として,イスラム信仰の純化を図り,現在のナイジェリア北西部にフラニ王国を創設し,近隣のハウサ諸国を支配した。15世紀ころにセネガル川上流のフータ・トロ地方から移住したフラニ族の学者の家に生まれ,父や近親のイスラム学者について学び,1774-75年ころから教師として活動を始めた。80,90年代には,優れたイスラム学者で弟子の一人でもある弟アブド・アッラーフ息子ムハンマド・ベロとともに,彼の名声は上がり,ハウサ族農民の支持をも得た。98年この地方の支配者ゴビル王国のスルタンは,名声が高まる一方のウスマンの活動を説教だけに制限した。しかし1804年2月,支持者たちによってイマーム(指導者)に選ばれ,王国が建設された。近隣地域にジハード聖戦)を始め,08年までに,クツィナ,カノ,ダウラ,アルカラワを征服。ウスマン自身は政治を弟と息子にまかせ,多くの学生に囲まれて簡素な生活を送り,イスラム教義統治に関する著作および詩作に励んだ。17年にソコト近郊で没。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウスマンダンフォディオ」の意味・わかりやすい解説

ウスマン・ダン・フォディオ
うすまんだんふぉでぃお
'Uthmān dan Fodio
(1754―1817)

19世紀初頭、現在のナイジェリア北部、ハウサランドで活動し、ソコト大守国とよばれるフラニ人が支配する王国を建設したイスラム革命指導者。15世紀なかばにセネガルのフータ・トロ地方からハウサランドに移住した、フラニ人のイスラム教師の家に生まれ、父に教育を受けた。青年時代に知識人として、またアラビア語、フラニ語詩人として名声を得た。イスラム教は数世紀前からこの地方に浸透していたが、教義は守られず腐敗していた。ウスマンはスーフィー派のイスラム教師・知識人としてイスラム信仰の純化を図った。ウスマンの信仰や英知に対する支持者は拡大し、この地方を支配していたゴビール王の王子の家庭教師に任命された。しかし彼の影響力が強大になるにしたがって、かつての教え子であるゴビール王国のユンファ王と対立し、王はウスマンに対する軍隊を派遣するに至った。ウスマンは支持者とともに武装して対抗した。1804年ウスマンはイスラム聖戦(ジハード)を宣言、近隣諸国のフラニ人指導者にも呼びかけて兵を進め、12年には現在のナイジェリア北部を支配した。しかし戦争指揮と統治は弟のアブド・アッラーフと息子のモハメッド・ベロに任せ、ウスマン自身は09年に隠退し晩年勉学に努めた。

中村弘光]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウスマンダンフォディオ」の解説

ウスマン・ダン・フォディオ
‘Usmān dan Fodio

1754~1817

19世紀初め,現ナイジェリア北部のハウサランドでジハードを主導したイスラーム改革指導者。祖先は現セネガルのトゥクロール人。ソコトを王都にフラニ王国を建設し,ハウサランド全域を支配したが,政治権力を弟アブダッラ,息子ムハンマド・ベッロに譲り,自身はイスラーム教義の研究に専心した。

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世界大百科事典(旧版)内のウスマンダンフォディオの言及

【ナイジェリア】より

…19世紀に入ると,サハラ南縁の地方にはイスラムの改革運動が続出した。ウスマン・ダン・フォディオはソコトを拠点として,堕落したムスリムに対しジハード(聖戦)を起こし,ハウサ諸国をつぎつぎと支配し,フルベを首長として置き,カメルーンにまで及ぶ広大な領域の王国を形成した。 ナイジェリアの中央にはヌペ族ティブ族などの部族も,独自の社会,文化を発達させている。…

【フラニ王国】より

…フルベ族Fulbe(フラニ族Fulani)はニジェール川やセネガル川の上流域で遊牧を営む民族であったが,しだいに東方に移動し,18世紀にはナイジェリア北部のハウサランドHausaland(ハウサ族の居住地)に定着し,イスラムに帰依した。18世紀後半から北部ハウサランドのゴビル王国で活動していたフルベ族の熱心なイスラム指導者ウスマン・ダン・フォディオは,ゴビル王のイスラム信仰を批判し,ハウサ族農民とフルベ族遊牧民とを合体させてジハード(聖戦)を宣言,19世紀初めまでにハウサランド全域を平定した。ウスマンは,東部を息子ムハンマド・ベロに,西部を弟アブド・アッラーフに統治させ,彼自身は学究生活を送った。…

【マーリク派】より

… ハンバル派ほどではないにしても,マーリク派もまた排他的で,他の法学派との摩擦も多かった。しかしムラービト朝,ムワッヒド朝の熱狂的な宗教・政治運動や,ウスマン・ダン・フォディオの〈ジハード国家〉などは,それらの地域で行われていたマーリク派法学の,預言者のスンナが支配するメディナの原始イスラムのウンマに対する回帰の念と無関係ではあるまい。【嶋田 襄平】。…

※「ウスマンダンフォディオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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