ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
フリードリヒ・アウグスト2世
フリードリヒ・アウグストにせい
Friedrich August II
[没]1763.10.5. ドレスデン
ザクセン選帝侯,アウグスト3世としてポーランド王 (在位 1733~63) 。父王フリードリヒ・アウグスト1世の死後,かつて一時スウェーデンに擁立されてポーランド王であったスタニスワフ・レシチンスキとの間に,1733~35年王位継承戦争を引起した。フランス王ルイ 15世の支持を得たスタニスワフに対し,オーストリア,ロシアの支援を得て,かろうじてウィーン和約により王位を確保。その後,シュレジエンの獲得を望み,オーストリア継承戦争に際しては,プロシア側に立って参戦したが,ロシアとプロシアの干渉が特に激しく,また 40年以後,同戦争により国土も蹂躪され,シュレジエンはプロシアのものとなった。七年戦争では,オーストリアと同盟して戦ったが,プロシアに敗北した。政治的には無能だったが,絵画と音楽を愛好し,ドレスデン美術館の充実に貢献。
フリードリヒ・アウグスト2世[ザクセン王]
フリードリヒ・アウグストにせい[ザクセンおう]
Friedrich August II
[没]1854.8.9. チロル,ブレンビューヘル
ザクセン王 (在位 1836~54) 。ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世 (3世)の甥。ドレスデン革命ののち,1830年に叔父アントンと共同統治を行い,36年王位についた。最初ドイツ統一に賛成であったが,フランクフルトで決定された民主憲法を拒否,49年5月のドレスデン暴動を引起し,宰相 J.ボイストによるプロシア軍誘導により鎮圧した。その後実権はボイストが握り,王は国政から離れ,植物学の研究に没頭。チロル地方で交通事故のため死亡。
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