日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドレスデン」の意味・わかりやすい解説
ドレスデン
どれすでん
Dresden
ドイツ中東部、ザクセン州の州都。1949~90年は旧東ドイツに属した。エルベ川に沿う標高106メートルの地にあり、人口47万7800(2000)。州の商工業、交通、教育、文化の中心地である。エルベ川の両岸に発達し、両岸は七つの橋で結ばれている。年平均気温は9℃。冬は温和で、春の訪れも南ドイツのネッカー川の谷と同じくらい早い。工業は19世紀後半におこり、第二次世界大戦後に発展し、カメラ、テレビ、X線撮影装置などの精密光学機械のほか、伝統的なたばこ、食品工業(とくにビール醸造)が立地する。第二次世界大戦で都心部は破壊されたが、戦後、古い町の特色を保存するよう努力が払われ、「アルプス北のフィレンツェ」ともよばれるようになり、ツウィンガー宮殿、教会、王城など、昔のおもかげがそのままに復旧された。ツウィンガー宮殿はドイツ文化遺産の宝庫で、宮殿内が各種の美術館、博物館となっており、ラファエッロの『システィナの聖母』はその代表的な所蔵作品である。工業総合大学、工芸大学、音楽大学、陸軍大学など高等教育機関も多い。市の北側の山地斜面にはブドウが栽培されている。またエルベ川北側には計画的道路をもつドレスデン新市があり、日本庭園もある。
[佐々木博]
歴史
マイセン辺境伯領のスラブ人集落の近くにおこり、13世紀に都市になり、15世紀に裁判権、指定市場権を獲得した。当時の人口は約4000であった。1485年の分割でアルベルト系ウェッティナー家領に属し、16世紀後半ザクセン選帝侯国の首都として栄えた。エルベ川左岸の旧市はオランダ風に石の塁壁(るいへき)と稜堡(りょうほ)で囲まれ、美術工芸の中心地となった。三十年戦争後の100年余りはバロック文化の花開く黄金時代で、ツウィンガー宮殿、アウグスト橋、グローサー・ガルテン(大公園)、右岸の新市がつくられ、人口は約5万となり、美術工芸品と陶磁器の収集で名高く「エルベ河畔のフィレンツェ」とよばれた。七年戦争、ナポレオン戦争で被害を受けたが復興し、19世紀には鉄道の交点であることから各種工業が発達した。外国人居住者が多く、河畔のテラスは「ヨーロッパのバルコニー」といわれた。1945年2月の空襲で市の中心部は壊滅した。46年ザクセン州の州都、52年以降は旧東ドイツのドレスデン県の県都、90年のドイツ再統一後、ザクセン州の州都となった。
[諸田 實]