改訂新版 世界大百科事典 「スタニスワフ」の意味・わかりやすい解説
スタニスワフ
Stanisław
生没年:1030ころ-79
ポーランドのクラクフ(当時の首都)の司教(1072-79)。修道士としてグニェズノ,パリで学び,ローマ教皇アレクサンデル2世によってクラクフの司教に任命された。当時のポーランドは内紛のため混迷状態にあり,しかも国王ボレスワフ2世Bolesław Ⅱはキエフ・ロシアに遠征していた。スタニスワフは,国王の失脚をねらっていたウワディスワフに荷担していたらしい。79年4月,国王はスタニスワフを捕らえ,みずからの手でスタニスワフの四肢を切断した。この残酷な処刑の真の原因は不明である。同年,ボレスワフ2世は反乱にあって,ハンガリーに亡命した。その後,スタニスワフが世俗の権力に屈しない殉教者であったとの伝説が生まれ,13~14世紀にはスタニスワフ崇敬がひろまった。1253年にはローマ教皇によって聖人の列に加えられ,ポーランドの守護聖人となった。聖人伝も数点出て,スタニスワフは近代にいたるまで文学作品や美術の題材となっている。
執筆者:森安 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報