ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
フリードリヒ・アウグスト1世
フリードリヒ・アウグストいっせい
Friedrich August I, der Starke
[没]1733.2.1. ワルシャワ
ザクセン選帝侯 (在位 1694~1733) 。アウグスト2世としてポーランド王 (在位 1697~1704,09~33) ,「強健王」 der Starkeとも呼ばれた。ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク3世の子として生れ,1700年ロシア,デンマークとの間に同盟を結んでスウェーデンに対し北方戦争を引起したが,04年惨敗してポーランド王を退位させられた。 09年ロシアの援助により,スウェーデン王カルル 12世をポルタバに破って復位。国内に絶対君主政の確立を企て貴族の内乱 (15~19) を引起し,ロシアの干渉を招き,ポーランドを諸国に分割することを企図したが,実行前に没した。ザクセンの工芸を奨励し,ドレスデンの繁栄に貢献した。
フリードリヒ・アウグスト1世(3世)
フリードリヒ・アウグストいっせい[さんせい]
Friedrich August I(III)
[没]1827.5.31. ドレスデン
ザクセン選帝侯 (在位 1768~1806) ,ザクセン王 (在位 06~27) 。ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスチャンの子。父の死後,選帝侯を継ぎフリードリヒ・アウグスト3世を名のったが,対フランス同盟戦争に参加,イェナの戦いののち脱退し,1806年のライン同盟に加わって,ナポレオン1世により王号を与えられ,フリードリヒ・アウグスト1世となった。以後フランスと結び国力も伸長したが,13年ライプチヒの戦いで捕えられ,国土はロシア,プロシアの支配を受け,ウィーン会議では選帝侯時代以来の世襲領のほかはプロシアに奪われた。
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