フルダ(その他表記)Fulda

デジタル大辞泉 「フルダ」の意味・読み・例文・類語

フルダ(Fulda)

ドイツ中部、ヘッセン州都市。744年、フルダ修道院が創設され、中世にはドイツのキリスト教化の中心的役割を担った。ドイツの守護聖人ボニファチウスの墓があるフルダ大聖堂や市宮殿をはじめ、バロック様式の歴史的建造物が数多く残っている。

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改訂新版 世界大百科事典 「フルダ」の意味・わかりやすい解説

フルダ
Fulda

ドイツ中部,ヘッセン州の都市。人口5万6400(1983)。繊維産業,ゴム製品生産が行われる。ウェーザー川支流のフルダ川が流れる。歴史は古く,ゲルマン人のキリスト教化のためにボニファティウスが8世紀中葉に建てたベネディクト会修道院フルダ修道院)が中心になって発展した。今日の大聖堂St.Salvator und Bonifatiusは,それまでの修道院教会のあとに,1704-12年ヨハン・ディーンツェンホーファーがイタリアのバロック建築手本にして造営したもの。同じくJ.ディーンツェンホーファーとイタリア人建築家によって建てられた修道院長城館も,壮麗なオランジュリーや庭園彫刻とともにこのバロック時代を飾るものである。ほかに,ミヒャエル礼拝堂(ロマネスク様式)やセウェリン教会(末期ゴシック様式)等がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フルダ」の意味・わかりやすい解説

フルダ
Fulda

ドイツ中部,ヘッセン州の都市。フランクフルトアムマイン北東約 90km,フルダ川にのぞみ,宗教都市として知られる。聖ボニファチウスの弟子によって 744年に建設された修道院を中心に発展。大聖堂 (1704~12) に聖ボニファチウスの墓があり,聖ミヒャエル聖堂 (820~822) とともに町の象徴をなし,参詣者が多い。また,カトリックの司教会議やプロテスタントの教会会議も毎年開催される。 1157年都市権獲得。非戦災都市で市街には旧観が残っており,修道院のほか,司教館 (1707。現市庁舎) ,アドルフセック城 (30~50) などがある。特産品にはレインコートタイヤ,エナメル細工などがある。人口5万 6289 (1991推計) 。

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世界大百科事典(旧版)内のフルダの言及

【ウェーザー[川]】より

…ドイツ中央部をほぼ南北に流れ,北海に注ぐ川。中部ドイツ,チューリンガー・ワルト南西斜面に源を発するウェラWerra川(全長292km)と,その西のレーン山脈中に源を発するフルダFulda川(全長218km)が互いにほぼ北流し,ハノーファーシュ・ミュンデンHannoversch‐Mündenで合流して,それより下流部をウェーザー川という。ハノーファーシュ・ミュンデンより下流部の全長は440km。…

【ヘッセン】より


[地理]
 ドイツを南北に分かつマイン川が州のほぼ中央を東から西に流れる。マイン川以南の土地は南東部のオーデンワルトOdenwald山地を除き上部ライン平原に連なる低地で,これはマイン川を越えて州中央部にも入り込んでいるが,州の東西両側面と北部は中部山岳地帯に属する山地で覆われ,その間をライン川の支流ラーンLahn川やウェーザー川の支流フルダFulda川やウェラWerra川が流れて複雑な地形を形づくっている。北部の山間の多数の小盆地は〈ヘッセンのくぼ地〉といわれる。…

【アマ(亜麻)】より

…そこでイギリスでは,夏至の日にかがり火をたき,それを飛び越えて豊作を祈るまじないとした。英名flaxは〈皮をはぎ繊維を採ること〉を意味する古チュートン語に由来しているが,これを人間に教えたのは大地の女神フルダHuldaといわれ,伝承によれば女神はチロルのウンターラッセン近くにある洞穴から,夏と冬の2回地上へ現れ,人々の働きぶりと亜麻の育ちぶりを見て回るという。もしも人々が十分な労働をしていなければ,翌年の収穫量は減らされることになり,したがって花ことばにも〈家事熱心〉が選ばれている。…

※「フルダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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