ドイツ中部にある修道院。744年〈ドイツ人の使徒〉ボニファティウスが,ウェーザー川の上流のフルダFulda河畔に建設したベネディクト会修道院。初代院長ストゥルミSturmi(715ころ-779)のもとにザクセン伝道の拠点をなした。ボニファティウスは最後までこの修道院を愛し,フリースラントに殉教した彼の遺体は,彼自身の望みによりここに埋葬された。そのためフルダの声望は当初から高く,ローマ教皇はすでに751年に司教支配権から独立する地位を認め,後の969年にはゲルマニアとガリアにおける全ベネディクト会修道院に対する首位権を授与した。フランク国王ピピン3世も753年に司教権からの独立を保証し,次いでカール大帝は774年インムニテート特権と院長自由選挙権を与えた。以後14世紀半ばにいたるまで,フルダは帝国修道院として,フランク王,ドイツ王に政治・経済・軍事の面で広く奉仕する。
修道生活,文化的活動は9世紀に最盛となった。とくにその前半,アルクインの弟子のラバヌス・マウルス(フラバヌス・マウルス)(780-856)が院長であったとき(822-842)に,修道士の数は支院在住者を含めて600名を超え,付属学校の名声も不動のものとなった。早くからドイツ語による聖書注解や詩作がなされ,ドイツ語,ドイツ文学の発展に大きく寄与した。修道院が死者を記念してその人名を記録するネクロロギウムNecrologiumは一般にカレンダー式で没年を付記しないが,フルダ,プリュム,ザンクト・ブラージエンの3修道院のみが年代順に編纂したネクロロギウムを残しており,このうち,フルダのものは779年から1065年まで記載され,内容的に最も優れている。それは《フルダ年代記》および寄進証書と並んで中世史研究の貴重な史料でもある。
修道院領は12世紀に1万5000マンススに達し,その所在はドイツ全域に及んだ。その頃から交換・売買による土地の集積,それに基づく領国形成に向かうが,しかし,もはや評価すべき精神活動を展開することはなかった。1753年司教座に昇格し,一時的中断を経て今日にいたっている。
執筆者:早川 良弥
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ドイツ最古のベネディクト会修道院の一つ。「ゲルマン人への使徒」ボニファティウスの弟子ストゥルミウスによって創設された(744)。ドイツのキリスト教化に重要な役割を果たし、9世紀ラバヌス・マウルスのもとで全盛期を迎え、芸術、学問が栄え、中世キリスト教文化の中心地となる。10世紀、修道院長はドイツ、フランスの同会修道院の首位を占め、12世紀、帝国の諸侯となった。しかし中世末期にはまったく衰退し、宗教改革、三十年戦争の動乱を経て、ようやく18世紀にいたって学問的活動が復興し、また修道院長は司教に昇格した(1752)。一時、世俗の支配になったが(1802)、ふたたび司教座が設置された(1821)。
[小笠原政敏]
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ドイツのヘッセン地方にあり,ベネディクト修道会に属す。744年ボニファティウスとストゥルミウスが創立した。カール大帝時代にフラバヌス・マウルスなどが出て学芸の中心となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…この西端部の複雑な造りは西構え(ウェストウェルクWestwerk)とよばれ,中世の教会堂に典型的な二つの塔をもつ正面を生み出すもととなった。フルダ修道院教会(780献堂),外観を写した17世紀の版画で知られるサン・リキエSaint‐Riquier(ケントゥーラCentulla)の修道院教会(774献堂),コルバイの修道院教会(873‐885)などはその例である。また聖遺物崇拝が盛んになったため,それを納める祭室下部のクリプタ(地下祭室)は大規模なものに発展した。…
…そこで,ラテン語で書かれたキリスト教文献の翻訳を主とした文学活動が各地の修道院を中心にして盛んになり,〈主の祈り〉〈信仰箇条〉〈受洗の誓い〉が各地でドイツ語に翻訳された。また9世紀前半には,カール大帝の文化政策の中心地であるフルダ修道院で共観福音書《タツィアーン》のドイツ語への翻訳が行われ,9世紀後半にはフルダとも密接な関係をもつオトフリートによる脚韻詩《オトフリートの福音書》のような長編の作品も成立した。このようにして,カール大帝の文化政策により,ドイツ語による文献は,それ以前のラテン語との対訳語彙集など限られたものから,質・量ともに飛躍的に充実することになった。…
…〈ゲルマニアの教師〉と称される。若くしてフルダ修道院に入り,トゥールにおいてアルクインの下で学び,804年フルダ修道院学校長になり,822‐842年修道院長の職を果たした。847年ドイツ王ルートウィヒの任命によってマインツ大司教になった。…
※「フルダ修道院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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