プジャンガバル(その他表記)Pujangga Baru

改訂新版 世界大百科事典 「プジャンガバル」の意味・わかりやすい解説

プジャンガ・バル
Pujangga Baru

植民地時代のインドネシアにおいて刊行された文芸誌。文学および文化の専門月刊誌で,1933年にジャカルタで創刊され,42年まで刊行された。この文芸誌によって文学・評論活動を行ったのは,中心的役割を果たしたアリシャバナのほか,サヌシ・パネ,アルミン・パネ兄弟アミル・ハムザ,プルワダルミンタらであった。雑誌名が〈新しき詩人〉を意味するように,彼らはインドネシア語によって民族主義的でかつ質の高い文芸作品を生み出すために努力した。アリシャバナの《帆を上げて》,アルミン・パネの《軛(くびき)》などの名作が生み出されたほか,この誌上では,インドネシア民族文化のあり方に関する文化論争も展開された。この雑誌に拠った人々は〈1933年世代〉とも称されて,植民地時代の文芸・文化運動の極点をなすものと評価されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プジャンガバル」の意味・わかりやすい解説

プジャンガ・バル
Poedjangga Baroe

インドネシアの文学雑誌。 1933年創刊。月刊。誌名は「新時代の文学者」の意。インドネシア最初の文芸誌で,アルメイン・パネ,アミール・ハムザ,アリシャバナによって創刊されるや,ただちに若い作家,知識人がここに結集し,文学史上「プジャンガ・バル時代」 (1933~42) と呼ばれる新時代を画した。 36年から「統一文化の形成を目指すダイナミックな新精神の旗手」をモットーにした。日本軍政時代は西欧主義的に過ぎるとみなされ,廃刊を余儀なくされた。独立後復刊 (48) ,53年まで続いた。

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世界大百科事典(旧版)内のプジャンガバルの言及

【インドネシア】より

…この作品は,健全な良書を供給することを任務とした政府機関バライ・プスタカ(図書局)から出版されたが,同局はコリーの描き方に手直しを求めて出版したという。 本格的な文学運動が始まったのは,新しいインドネシア統一文化の創造を目指す文学雑誌《プジャンガ・バル(新詩人)》(1933‐42)の創刊によってであった。同誌を舞台に,主宰者の一人アリシャバナが西欧合理精神の旗手として,土着伝統派との間に闘わせた論争は,文化論争の名で有名である。…

※「プジャンガバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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