日本大百科全書(ニッポニカ) 「アバ朝」の意味・わかりやすい解説
アバ朝
あばちょう
Ava
中央ビルマ(現ミャンマー)、イラワジ川の河畔アバの地に、シャン人の血を引くタドーミンビャーによって建てられた王朝(1364~1555)。次のミン・チーズワソーケー王(在位1368~1400)の時代、上ビルマ地方一帯は概してよく統治されていた。しかし、北からのマオ・シャン人、南からのモン人の侵寇(しんこう)に加え、地方のミョウ(城市)もしばしば反乱を起こし、16世紀に入ると騒乱状態に陥った。ミョウは地方行政の単位であり経済的にも独立体としての機能をもっていた。ミョウは中央から派遣された王族によって統治されたが、彼らは土着化し互いに割拠して自ら王(ミン)と称した。またこの王朝下ではアティーAthiとよばれる平民階層が形成され、社会構成のうえにも大きな変化がおこった。宗教面では、肉食、飲酒を認め、農地の開発に積極的に従事したマハーカサッパ教団が繁栄。1555年、南に拠(よ)ったタウングー朝のバインナウン王によってアバが落とされ、アバ朝は滅んだ。
[伊東利勝]