大学事典 「大学都市」の解説
大学都市
だいがくとし
[中世ヨーロッパの大学都市]
大学の誕生は都市の発達と密接に結びついている。大学は都市社会のなかで生まれた。15世紀頃までに創設された,中世ヨーロッパのおもな大学を国ごとに記すと次のようになる(括弧内は設立年)。
[イタリア] ボローニャ(11世紀,1088頃),パドヴァ(1222),ナポリ(1224),サレルノ(1231),シエナ(1240),ローマ(1303),フィレンツェ(1321),パヴィア(1361),ピサ(1343),トリノ(1404)
[イギリス] オックスフォード(1168頃),ケンブリッジ(1209),セント・アンドリューズ(1411),グラスゴー(1451),アバディーン(1495)
[フランス] パリ(1150頃),トゥールーズ(1229),グルノーブル(1339),エクス・マルセイユ(1413),ボルドー(1441)
[スペイン] サラマンカ大学(スペイン)(1218),バルセロナ(1430),アルカラ大学(スペイン)(1499),バレンシア(1499)
[ポルトガル] コインブラ大学(ポルトガル)(1290)
[チェコ(ボヘミア)] プラハ(1348)
[オーストリア] ウィーン(1365)
[ドイツ] ハイデルベルク(1386),ケルン(1388),エアフルト(1389),ライプツィヒ(1409),ロストック(1419),グライスヴァルト(1428),フライブルク(1457),ミュンヘン(1472),トリーア(1473),マインツ(1476),テュービンゲン(1477)
[ベルギー] ルーヴァン・カトリック(1425)
これらはいずれも都市の名前を冠しており,都市の成立と大学の発展は密接に結びついている。このうちサラマンカ,コインブラ,アルカラは大学の建造物をおもな対象としてユネスコ世界遺産になっている。
[大学都市の原型―ボローニャとパリ]
大学(universitas)が誕生したのは,12世紀後半から13世紀初頭の中世ヨーロッパにおいてであった。ウニヴェルシタスとは,もともとは中世社会に特有の自治都市内部の組合,市民団体などを意味した言葉であった。ボローニャ大学(イタリア)は学生たちの「組合」が発展したのに対して,パリ大学(フランス)は「教師組合」という同業組合が発展したものである。都市の自由な雰囲気にひきつけられた学生と教師が集結し,そこで学問が講じられることになった。城壁に囲まれて大聖堂,市庁舎,商工業者のギルドの建物が並ぶ市の中心部に教場が設けられ,やがて学寮(コレージュ)も建設された。
12世紀初頭,パリのセーヌ左岸のサント・ジュヌヴィエーヴで,著名な論理学者・神学者ピエール・アベラール,P.(Pierre Abélard,1079-1142)は学生を集め教鞭をとっていた。このアベラールの例にならって,この丘の周辺に数多くの人文学者たちが集まってきた。これまで各地を放浪していた学生もそこへ行けば,多くの師と出会うことができる場所ということで「カルチェ・ラタン」(ラテン語が話される地区)が生まれることになる。当時は,学問の世界の共通語はラテン語であった。以後この地区に高等教育機関の建物が集中し,学生の街へと発展する。カルチェ・ラタンは,1960年代後半から世界的な広がりをみせたさまざまな反体制学生運動の中心地にもなった。
[イギリスの大学都市,ドイツの大学都市]
オックスフォードはロンドンの西に100キロ,ケンブリッジは北方100キロのところに位置している。オックスフォード大学(イギリス)は,1168年ころに教会付属学校から生まれた。パリで学んだ神学者たちが,ここにパリに似た組織を創設したのが始まりとされている。13世紀には,すでにオックスフォードに五つのカレッジ(学寮)が設置されていた。大学教育は,市内に点在するカレッジで行われてきた。この伝統は今日まで引き継がれている。現在カレッジは約40あり,学生数は市の人口約13万人のうちの1割以上を占めている。都市の中にカレッジがあるというより,散在するカレッジの中に都市が混在しているという趣を呈している。同様のことは,オックスフォードから分派し,約半世紀遅れて創設されたケンブリッジ大学(イギリス)にも言うことができる。
ドイツの大学都市においては,領邦国家が大学創設の主体をなしたが,皇帝直属の都市(帝国自由都市)もまた大学の立地に努めた。都市と国家は,ともに競って権威ある大学の建設にとりかかった。ハイデルベルク(大学都市)は,大学都市として最もよく知られている一つである。市の北の丘にある「哲学者の道」から眺めると図書館,教会,学生寮,講堂などが見えるが,大学の教室がどこにあるかはわからない。キャンパスが見当たらない。街と大学の間に境界がなく,互いに入り組み,大学とレストラン,市場などが一体化している。教育は学科ごとのインスティトゥート(インスティチュート)で行われるが,それらは市内のいたるところに点在し,知らない人にはどれが校舎なのか判別できない。ひとつのキャンパスに集結された形態をとらないスタイルは,ボローニャをはじめ,ドイツではテュービンゲン,フライブルクなど中世以来の伝統をもつ大学に見られる特色となっている。
[新天地の大学―アメリカの大学都市合衆国の大学都市]
アメリカを代表する大学であるハーヴァード大学(アメリカ)がボストン(大学都市)市郊外に設立されたのは1636年である。そこは未開拓の原野であった。開墾を進めながら広大な敷地の中に大学の建物が建設された。都市の中に大学が発生し,都市と大学が一体となって発展したヨーロッパとは異なり,アメリカでは大学がその機能のために必要な小都市を独自に建設したということができよう。ちなみにキャンパスという英語は,野原(原野)という意味のラテン語に由来している。原野に建設されたのが大学の建物であった。現在では,ボストン市とハーヴァードがあるケンブリッジ市はほとんど市街地が連続し,その中間にMIT(マサチューセッツ工科大学)が設置され,原野の面影はない。
著者: 木戸裕
参考文献: 樺山紘一『都市と大学の世界史』日本放送出版協会,1998.
参考文献: 横尾壮英『中世大学都市への旅』朝日新聞社,1992.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報