プリズレン
ぷりずれん
Prizren
ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置するコソボ共和国南部の都市。人口11万5711(1999)。住民の多くはアルバニア人。シャル・プラニナ山脈中のビストリツァ河畔、標高412メートルの所にある。ローマ時代の商業都市で、中世には近くのトレプチャ鉱山で大いに栄え、14世紀セルビア王国の首都にもなった。現在も金銀細工は有名。1454年から第一次バルカン戦争(1912~13)までトルコ治下にあったため、ミルティン王時代の美しい壁画がみられる14世紀のリェビシュカ教会、ドゥシャン帝の聖アルハンジェロ修道院遺構、16世紀のメフメット・パシャの浴場、17世紀のシナン・パシャのモスクと見るべきものが多く、オリエンタルな町並みがいまに残る。織布・金属・製薬・タバコ工場などがある。
[田村 律]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
プリズレン
コソボの南西部の都市。アルバニアとの国境近くに位置する。14世紀にはセルビアの首都にもなった町で,教会,モスク,古い建物などが残る美しい町並みを残している。織物,木工品,食品加工などの工業が行なわれている。また手工芸品製作の中心地で,とくに線条細工でよく知られている。人口11万482人(2005)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内のプリズレンの言及
【コソボ[州]】より
…戦後プリシュティナは大学,飛行場をもつ中都市に変貌した。他に製材・化学工場のあるコソブスカ・ミトロビツァ(人口9万),中世の古い町ブチトルン(5万),グニラネ(7万),ウロシェバツ(9万),ステファン・ドゥシャン帝が建てた聖アルハンゲル修道院(14世紀)とシナン・パシャ・モスク(16世紀)が共存する古風なプリズレンPrizren(10万)がある。 コソボ地方の先住者は[イリュリア人]であるが,それは現代のアルバニア人の一部を形成したと思われる。…
※「プリズレン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 