ベイルート・アメリカン大学(読み)ベイルート・アメリカンだいがく

大学事典 の解説

ベイルート・アメリカン大学[レバノン]
ベイルート・アメリカンだいがく

1856年,アメリカン・ボード(American Board of Commissioners for Foreign Missions)によってレバノンに派遣されたアメリカ人ブリス,D.(Daniel Bliss, D.)は,ベイルート南東部の山岳避暑地アレー(Aley)にある小さな学校(1843年創立)で教育実績を上げ,1858年から62年までアレー北部の全寮制スーク・アルガルブ校を任された。この間に現地アラビア語を習得し,布教から本格的な高等教育に転換すると,1864年にニューヨーク州から大学設立計画の特許を受け,アメリカン・ボードの資金援助も得て,1866年シリアン・プロテスタント・カレッジ(レバノン)(Syrian Protestant College(レバノン))として,人文・自然科学部からスタートした。以後,1867年に医学部,71年薬学部,大学進学準備校(1960年分離,現International college(レバノン)に改組),1900年商学部(のち人文・自然科学部に編入)を設置,1905年病院に看護学部(現ラーフェク・ハリーリー看護学校(レバノン)に改組),10年歯学部(1940年まで存続)併設。1920年に現在の名称に変更,51年工学部,建築学部,52年農学部(現農業・食品科学部に発展),54年公衆衛生学部(現保健科学部に発展),2000年ビジネス・スクール(現Suliman S. Olayanビジネス・スクール(レバノン)に改組)を設置。授与学位はレバノン高等教育省,ニューヨーク州教育委員会により正式に承認されている。設立以来の高い教育実績は,中東地域に限らず多くの学生を集めている。
著者: 阿久津正幸

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android