現代外国人名録2016 「ホセカンセコ」の解説
ホセ カンセコ
José Canseco
- 職業・肩書
- 元大リーグ選手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1964年7月2日
- 出生地
- キューバ・ハバナ
- 学歴
- マイアミ・コーラルパーク高卒
- 受賞
- アリーグMVP〔1988年〕
- 経歴
- 生後9ケ月の時に米国へ亡命。1982年ドラフト15位で大リーグのアスレチックスに入団。’86年33本塁打を打ってアリーグ新人王を獲得。’88年には42本塁打、124点で二冠を獲得、大リーグ史上初の1シーズン40本塁打、40盗塁を記録し、アリーグMVPに選ばれた。’90年大リーグ史上最高額で契約更改。’91年は44本塁打でセシル・フィルダー(タイガース)と本塁打王を分け合う。’92年8月レンジャーズへ電撃的にトレードされた。’93年外野手から投手に転向したが、初登板した試合で右腕を故障し、再び外野手に。’94年レッドソックスへ移籍。’97年アスレチックスに戻り、マーク・マグワイアとともに“バッシュ・ブラザーズ(猛打兄弟)”と呼ばれ活躍。’98年ブルージェイズに移籍。’99年FAでデビルレイズに移籍し、4月外国人初の通算400号を達成。7月史上初の4チーム(アスレチックス,レンジャーズ,ブルージェイズ,デビルレイズ)での30号本塁打記録を達成。同月持病の腰痛が悪化、つい間板ヘルニアの手術を受ける。2000年ヤンキース、2001年エンゼルスに入団するが、同年3月解雇。その後、マイナーリーグなどでプレーしたが、2002年5月引退。2005年薬物使用の告白本「ジュースド(隠語で薬物を使ったの意)」が話題に。2006年7月独立リーグで現役復帰した。大リーグ通算1887試合に出場し、打率.266、1407打点、462本塁打。オールスター出場6回(1986年,’88〜90年,’92年,’99年)。2009年5月総合格闘技にデビュー、日本でのDREAM.9で崔洪万(韓国)と対戦し、KO負け。その後は独立リーグの様々なチームでプレー。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報