特定の階層や職業の社会集団だけにしか通用しない秘密性を帯びた特殊な言葉。元来は〈かくしことば〉といったが,隠語の字をあてられた結果〈いんご〉と呼ばれるようになり,スラングslangの訳語ともされて,隠語の意義内容は複雑になった。隠語は仲間うちだけに通用する目的の非公式の言葉であるから,香具師(やし)や犯罪者等の反社会的集団のものだけにかぎらず,平安時代の神宮の〈斎宮忌詞(いつきのみやいみことば)〉(塔をアララキ,僧をカミナガ,打つをナヅなど),宮廷女官の〈女房言葉〉(田楽をオデン,杓子をシャモジ,豆腐をオカベなど),僧侶の〈学林秘語〉(卵をシロナス,鮎をカミソリ,酒をゴマスなど),大阪の人形遣いの用いた〈占傍(せんぼう)〉(金銭をセンタロウなど),漁師の〈沖言葉〉や猟師の〈山言葉〉なども広い意味で隠語といえる。このほか,学生,芸能人,商人,医師,軍隊,山窩(さんか)などの社会で用いられる隠語もあるが,一般には隠語といえば反社会的集団の符丁言葉を意味することが多い。これにも香具師系,博徒系,掏摸(すり)系,盗賊系の四つの系統があるといわれている。
隠語はいわば代用表現であり,はじめは宗教的な理由や社交上の礼儀などから特定の言葉をタブーとしたことから発生したと思われる。隠語は忌言葉(いみことば)と異なり,それを使用しないからといって制裁を受けることはない。しかし隠語を使うことは,暗号や符丁のように秘密保持に役だつばかりでなく,仲間意識や集団への帰属意識を高めたり,単調化しがちな閉鎖的な集団生活に言語の上から変化と新鮮な刺激を与えることにもなった。このため隠語は卑俗になる傾向があり,また自在に転用活用がはかられて持続性に乏しい。しかし,女房言葉や遊女の〈廓言葉(アリンス言葉)〉のように上品な表現を目ざすものもある。
隠語は名詞が圧倒的に多く,方言などと異なり語彙的な現象にとどまる。隠語の形式には,他の言葉の借用(米や飯をシャリ),語音の省略(女子(おなご)をナゴ),逆語(種をネタ),音訓の読換え(水をスイ,眼をガン),字謎(女をくノ一(くのいち),牛肉を子寅間(ねとらま)),形容語・連想語・比喩語(豆腐を寺肴(てらざかな),書物を孔子,トウガラシをアカトンボ),人名化(公や太郎を語尾につける)などがある。中には,美人をカナカナというように副詞を逆語にして名詞化した変わった例もある。隠語が日常語化して広く一般社会に通用するようになると,隠語の意義はうすれ,新しい隠語の発生を促すことにもなる。
執筆者:村下 重夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
特定の職業や身分に属する限られた人々の間で、主として秘密を守ったり、あからさまにいうのを避けたりするために用いる特別のことばのことをいう。たとえば、盗人同士の間で「買う」といえば盗むの意であり、「猿」といえば囚人のことである。方言、技術者や学者が使う専門語なども限られた人々の間で用いられるものであるが、前者は地域的に限られたもの、後者は正確で敏速な伝達のためのものであって、いずれも公開をはばかるためのものではないから、隠語とはよばれない。隠語にはまた、他人にわからないことばを使うことで仲間意識を強める、特別なことばを考え出して使うことで単調さを破る、といった効用もある。「ゲルピン」(金に困っている状態)、「バックシャン」(後ろ姿美人)のような語では、その性格が強い。「ネタ」(材料)、「ロハ」(只(ただ))のように一般に広く知られたものになると、日常語との区別がつきにくくなる。
隠語は、盗人、博徒、やくざなど反社会的な集団で用いられるものが多いが、職人(「おしゃか」=不良品)、商人(「あげもの」=盗品)、僧侶(そうりょ)(「はだし」=鶏肉)、兵隊(「あひる」=水陸両用トラック)、学生(「ムスケル」=肉体労働)などの間でもそれぞれに用いられるものがある。また、同じ盗人でも、すりと窃盗では用語が分化していたり、あるいは盗人の隠語が警察関係者の間で流用されたりといった現象もみられる。
隠語では、語義の転変や語の入れ替わりが通常のことばよりもはるかに激しい。たとえば「げそ」は履き物、下駄(げた)の意から、草鞋(わらじ)、あし、逃亡、などへと変わっているし、一方「盗む」の意を表すのに、買う、嫁ぐ、きぶる、ぎる、かまる、たける、摘む、ばいする、もらう、儲(もう)ける、やかす、など種々の語がつくられている。これは、語感の新鮮なものを求めること、秘密を守るのにもしばしば変わるほうが都合がよいことなどによる。使う人の範囲が狭いので、頻繁に変わっても支障が生じにくいのである。
隠語のでき方には、(1)ことばの形を変えるもの、(2)あることばを普通の意味とは違う意味に使うもの、などがある。(1)には、省略によるもの(「がね」=眼鏡、「あい」=匕首(あいくち))、転倒によるもの(「えこ」=声、「ばいし」=芝居、「ぶけい」=警部、「くつる」=つくる、「るまい」=丸い)があり、転倒によるものが犯罪者の隠語の主流をなしている。(2)には、その語形の日常的な語義と隠語として意味する内容とのなんらかの類似性に基づくもの(「松葉」=針、「黒烏(くろがらす)」=冬服刑事、「牛の舌」=こんにゃく)、近接性に基づくもの(「極楽」=蓮根(れんこん)、「檜(ひのき)板」=上等酒、「がちゃ」=巡査)がある。また(1)と(2)の組み合わさったものもあり(「アカ」←「赤犬」=火事)、ほかに謎(なぞ)に類するもの(「くのいち」=女)もある。なお、品詞の面では、名詞が圧倒的に多い。
[尾上圭介]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…集団内の心理的同一化を図るのに力がある。隠語もその点で同じ働きをするが,これは集団内の秘密通信が目的である。しかし,隠語として生まれたものが,のちにスラングとして用いられることもある(たとえば演劇関係者が使う〈ジャリ〉――子どもの意)。…
※「隠語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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