ボノンチーニ(英語表記)Giovanni Bononcini

改訂新版 世界大百科事典 「ボノンチーニ」の意味・わかりやすい解説

ボノンチーニ
Giovanni Bononcini
生没年:1670-1747

バロック期イタリアの音楽家。父ジョバンニ・マリアGiovanni Maria B.(1642-78)は器楽作品や対位法教科書《熟練した音楽家》(1673)によって知られた音楽家であった。父に音楽の手ほどきを受け,チェロ奏者,作曲家となり,ボローニャローマで活動。やがてナポリ派オペラ大家としてヨーロッパ各地で活躍した。ロンドン時代(1720-32)にはヘンデルライバルとして,イタリア・オペラの人気を競い合った。オペラのほかにもオラトリオ,室内楽など多数の作品がある。代表作はオペラ《カミラ勝利》(1696),同《アスタルト》(1720),ヘンデルおよびアマデイFilippo Amadeiとの共作オペラ《ムツィオ・シェボラ》(1721)。弟アントニオ・マリアAntonio Maria B.(1677-1726)もチェロ奏者でナポリ派オペラの作曲家であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボノンチーニ」の意味・わかりやすい解説

ボノンチーニ
Bononcini, Giovanni Battista

[生]1670.7.18. モデナ
[没]1747.7.9. ウィーン
イタリアの作曲家。音楽家の家系に生れ,チェロを学び,1687年ボローニャのサン・ペトロニオ聖堂のチェリスト,同年サン・ジョバンニ聖堂の楽長。 91~98年ローマに住み,オペラ『セルセ』で作曲家として認められ,99~1711年ウィーンでオペラ作曲に専念したが,20年イギリス王立音楽アカデミーの監督としてロンドンに招かれ,ヘンデルとオペラの優位を争う論争を起した。その後 1730年代初期にはパリ,40年代にはウィーンに移って『テ・デウム』を作曲した。主作品はオペラ『ポリフェモ』 (1702) ,『グリセルダ』 (22) 。

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