ボフラン(英語表記)Germain Boffrand

改訂新版 世界大百科事典 「ボフラン」の意味・わかりやすい解説

ボフラン
Germain Boffrand
生没年:1667-1754

フランスの建築家。ナントに生まれ,パリの建築アカデミーで学ぶ。J.H.マンサールに師事し,1709年建築アカデミー会員となった。18世紀前半のパリにアムロAmelotの邸館(1712-14)に代表される数々の作品を残し,とりわけロココ的な意匠をこらした室内意匠は群を抜いている。他方,1708年にロレーヌ公国の首席建築家に任命され,リュネビルLunévilleの城館(1702-06)をはじめとする城館建築をいくつか手がけた。さらに,ドイツにも招かれてバイエルン選帝侯やマインツ選帝侯に仕え,当時のフランス宮廷建築のスタイルをドイツに伝えるうえで大きな役割を果たす。作品集《建築書Livre d'architecture》(1745)は高い評価を得た。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボフラン」の意味・わかりやすい解説

ボフラン
ぼふらん
Gabriel-Germain Boffrand
(1667―1754)

フランス・ロココ様式を代表する建築家。ナント生まれ。初めジラルドンについて彫刻家として修業するが、まもなく建築に転向してアルドゥアン・マンサールに師事し、その協力者となった。1709年、建築アカデミー会員。彼は実に多くの作品を残したが、力量をよく発揮した代表作はパリのオテル・アムロ(1710)で、卵形中庭を囲んで建てられ、各部屋の形状寸法はそれぞれ異なるものである。外観はこの建築家固有の簡潔なデザインであるが、内部はきわめて豪華である。彼のもっとも洗練された屋内デザインはオテル・ド・スービーズ(現国立公文書館)の増築部分にみられる。『建築書』(1745)に彼の主要作品などがまとめられている。パリに没。

[濱谷勝也]

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