ミノ・ダ・フィエーゾレ(その他表記)Mino da Fiesole

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミノ・ダ・フィエーゾレ」の意味・わかりやすい解説

ミノ・ダ・フィエーゾレ
Mino da Fiesole

[生]1429. ポッピ
[没]1484. フィレンツェ
イタリア,フィレンツェ派の彫刻家。ミケロッツォの弟子ともされるが,初期の修業はつまびらかでない。また一時 A.ロッセリーノの影響下にあったが,しかし『ピエロ・デ・メディチ胸像』 (1453) や『レオナルド・サルターティ墓碑』 (64) などで,ロッセリーノの型からの脱皮をはかっている。晩年ローマに出て,ロンバルディアの彫刻家 A.ブレーニョらと親交を結び,サンタ・チェチーリア聖堂の『フォルテグエリ枢機卿墓碑』の修復に際しては,墓碑全体にロンバルディア風の非常な多彩さを付与した。多くの彩色大理石像を手がけているが,作品はローマのサンタ・マリア・ソープラ・ミネルバ聖堂の『フランチェスコ・トルナブオーニ墓碑』 (80) で,構成全体における精緻で練達な線的処理が美しい。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む