20世紀西洋人名事典 「ミハエルツウェット」の解説
ミハエル ツウェット
Mihail Semyonovich Tsvet
1872.5.14 - 1919.6.26
ソ連(ロシア)の植物学者。
元・ユリエフ大学教授。
アスティ(イタリア)生まれ。
父はロシア人、母はイタリア人で、イタリアで生まれ、スイスで育つ。ジュネーヴ大学卒業後、1897年ロシアに渡り、ペテルブルク生物学研究所、カザン大学、ワルシャワ大学などを経て、1908年ワルシャワ工科大学で教鞭をとった。その後、’17年にはエストニアのユリエフ大学教授兼植物園園長となるが、同大学のヴォロネジ移転など第一次世界大戦の混乱の中で同地にて病死した。この間、クロマトグラフィーと名づけられた色素を分離する吸着法を考案したが、当時の学界では評価されず、彼の死後、注目されるようになった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報