ワルシャワ大学(読み)ワルシャワだいがく(その他表記)Uniwersytet Warszawski

改訂新版 世界大百科事典 「ワルシャワ大学」の意味・わかりやすい解説

ワルシャワ大学 (ワルシャワだいがく)
Uniwersytet Warszawski

ポーランド最大の大学。1816年に改革派貴族ポトツキStanisław Kostka Potocki(1755-1821),啓蒙思想家スタシツStanisław Staszic(1755-1826)らの努力で王立大学として創立民族主義的な学生組織の中心となり,十一月蜂起(1830-31)後閉鎖。1862年ワルシャワ中央学校Szkoła Główn Warszawskaとして再開され,いわゆるワルシャワ・ポジティビズムの形成に重要な役割を演ずる(ポジティビズム運動)。69年ロシア化政策の一環としてロシア帝国大学に改組。第1次大戦中の1915年ポーランドの大学として再開され,独立(1918)後はポーランドの中心的な大学となる。35-39年〈ユゼフ・ピウスーツキ記念大学〉と名のる。ドイツ占領期間中(1939-45)は閉鎖されたが,非合法の教育活動を行う。戦後再建され,56年の非スターリン化運動に際して学生新聞《ポ・プロストゥPo prostu》(〈直言〉の意)が急進派知識人の機関紙の役割を果たした。68年ワルシャワ大学の学生デモが契機となって〈三月事件〉が起こり,政府側の弾圧措置を招く。80-81年の〈連帯〉労組運動にも敏感な反応を示し,学制改革に大きな役割を演じた。1996年現在,学部18,教授839,学生2万5476。アメリカ研究センターが付設されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワルシャワ大学」の意味・わかりやすい解説

ワルシャワ大学
わるしゃわだいがく
Uniwersytet Warszawski

ポーランドの首都ワルシャワにある大学。ワルシャワ大公国時代に設立された法律学校(1808)と医学校(1809)を母体に、1818年ロシア皇帝により創設された。1830年ポーランド人による十一月蜂起(ほうき)の失敗により大学は閉鎖されたが、1862年に再開。第二次世界大戦中はナチスによりふたたび閉鎖され、戦乱で破壊されたが、戦後再建され、同国最大の規模水準を誇る。現在18学部(生物学化学物理学地質学数学・コンピュータ科学、近代言語学、ロシア語・応用言語学、ポーランド語学、ジャーナリズム・政治科学、歴史学、哲学・社会学、法律・行政学、経済学、教育学、心理学、地理・地域学、経営学、社会政策学)のほか、アメリカ研究センター、地質学博物館などがある。1995年現在、教員数約840人、学生数約2万5000人。

[馬越 徹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワルシャワ大学」の意味・わかりやすい解説

ワルシャワ大学
ワルシャワだいがく
Uniwersytet Warszawski

ポーランド,ワルシャワにある国立大学。共学制。 1808年法律学校として創設,18年大学となった。第2次世界大戦で破壊されたが,1945年再興され,再編成を行なった。生物学,化学,地質学,歴史学,物理学,数学,心理学,教育学,法律・行政,社会科学などの学部を設ける。教員数約 800名,学生数約2万 5500名 (1997) 。

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