日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムハッラム祭」の意味・わかりやすい解説
ムハッラム祭
むはっらむさい
Muarram
イスラム教シーア派で第3代イマームのフサインがイラクのカルバラーの地でウマイヤ朝の軍隊によって包囲され殉教を遂げた(680年)ことを記念する祭礼。その事件の起きたイスラム暦第1月のムハッラム月10日(アーシューラー‘ashūrā’)とその前日に行われる。シーア派を国教としたサファビー朝がイランを治めていた16世紀ころから盛んになった。シーア派イマームの非業の死を悲しみ嘆くきわめて悲劇的な熱情に満ちた祭礼であり、その行事は三つに分けられる。一つはモスクや個人の家などでフサインのカルバラーでの殉教物語を説教師から聴くこと、第二はフサインの棺を担いで町を練り歩き、街路で黒の喪服を着た男たちが鎖で自らの胸と背を打ち、血を流してフサインの殉教の悲苦を追体験すること、第三は野外で大規模にしばしば民俗的要素も含んでフサイン殉教劇を演ずることである。なお、スンニー派では以上の文脈とは無関係に、その日アーシューラーには自発的な断食(だんじき)が勧められている。
[鎌田 繁]