イラク中部の都市。カルバラー州の州都。ケルベラKerbelaともいう。人口29万6705(1987センサス)、57万2300(2003推計)。バグダードの南南西約80キロメートル、ユーフラテス川中流右岸に位置し、西はシリア砂漠が近くまで迫っている。バグダードとバスラを結ぶ鉄道の支線の終着点。680年のイスラム教シーア派とスンニー派の戦いで、ムハンマド(マホメット)の孫でシーア派の指導者フサインが殺害された地として知られる。そのためシーア派教徒のもっとも重要な聖地で、フサインと一族の墓廟(ぼびょう)のあるモスクには、イランやイラクをはじめ世界中のシーア派教徒の巡礼者が後を絶たない。またわざわざこの地に葬るべく遺体を運ぶ人も多い。聖地ナジャフやメッカへの巡礼もここを起点とする。宗教都市であるばかりでなく、周辺農村地帯の生産物が集散され、アラビア半島内部との交易の中心都市で「砂漠の港」とよばれる。ナツメヤシ、小麦、羊毛、皮革製品や宗教用具品も広く商われている。
[原 隆一]
イラク中央部の宗教都市でシーア派の聖地。バグダードの南南西約80km,ユーフラテス河畔にあり,人口約47万5000(2003)。ウマイヤ朝カリフ,ヤジードの治世680年に,預言者ムハンマドの孫でアリーの次男であるシーア派第3代イマーム,フサインがメッカから家族・部下ら一行約200人とともにシーア派の本拠地クーファに赴く途中,この地でウマイヤ朝軍に包囲された。無条件降伏の申し出を拒否したフサイン側は,同年10月10日に戦闘を開始し,フサインをはじめほとんどすべての者が殉教した。このカルバラーの悲劇を契機に,シーア派の宗教的色彩はいっそう濃厚になった。悲劇の日はヒジュラ暦ムハッラム月10日に当たり,アーシューラーと呼ばれ,今日に至るまでこの日にフサインの殉教をしのぶ行事が盛んに行われる。かつてイランのシーア派最高指導者たちは,主としてこの地に居住し,ナジャフとともに重要な巡礼地になっている。
執筆者:黒柳 恒男
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