モザンビーク民族抵抗運動(読み)モザンビークみんぞくていこううんどう(その他表記)Resistencia Nacional Mocambicana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

モザンビーク民族抵抗運動
モザンビークみんぞくていこううんどう
Resistencia Nacional Mocambicana

略称 RENAMO。モザンビーク政党。 1970年初めに旧ローデシアにおける白人政府樹立を目指すポルトガル人を中心に設立。 75年のモザンビーク独立,さらには 77年にモザンビーク解放戦線 FRELIMOマルクス=レーニン主義路線を掲げたことなどに危機感をいだき武装闘争に踏込み,南アフリカ政府やポルトガル企業からの軍事・財政支援を受けながらゲリラ活動を展開,内戦が激化した。政府側が 90年 11月複数政党制の導入を発表したことを受けて,92年 10月政府側と包括的平和協定に調印。同協定に基づき実施された 94年 10月大統領選挙にはアフォンソ・マカチョ・マルセタ・ドラカマ党議長が出馬するが,得票率 33.7%にとどまり与党 FRELIMOのシサノ大統領に敗北。同月実施の国会選挙でも 112議席 (250議席中) を獲得するが過半数には届かなかった。 97年6月,野党勢力各派と野党共闘評議会を結成するが,98年6月の地方選挙は投票者登録の不正操作を理由にボイコットした。

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世界大百科事典(旧版)内のモザンビーク民族抵抗運動の言及

【モザンビーク】より

…FRELIMOは独立後,社会主義建設を目標としてきたが,77年2月に首都マプトで開かれた第3回党大会において公式にマルクス・レーニン主義を掲げ,自らをその前衛党と規定した。 社会主義建設を目ざすマシェル政権に対し,独立直後からポルトガル人入植者を主体とする反政府組織モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)が武力闘争を開始し,各地で破壊活動を行ったが,その背後ではローデシア,次いで南ア共和国政府が武器援助をした。このため84年3月,モザンビークは南ア共和国と不可侵条約を結んだが,RENAMOの破壊活動は続いた。…

※「モザンビーク民族抵抗運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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