モネタ(読み)もねた(英語表記)Ernesto Teodoro Moneta

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モネタ」の意味・わかりやすい解説

モネタ
もねた
Ernesto Teodoro Moneta
(1833―1918)

イタリアジャーナリスト平和運動家。ミラノに生まれる。当時イタリアはオーストリアの支配下に置かれていたが、彼は15歳のときにオーストリアへの反乱参加した。1848年から1866年までイタリアの統一と独立のために努力し、ガリバルディとともに戦った。しかし1866年、職業軍人の道を捨て、一般市民に戻った。1867年日刊紙『世紀Il Secoloの編集に参加、国家主義的主張を展開したが、やがて国際平和主義に転換した。1890年に年鑑『平和の友』L'Amico della pace刊行を開始、1898年には雑誌『国際生活』La Vita internazionaleを創刊した。これら出版活動とは別に、1895年には国際平和局International Peace Bureauの委員会のイタリア代表となり、その後は多くの国際平和会議の座長を務めた。長い間のたゆみない平和活動が評価され、1907年にフランスのルノーとともにノーベル平和賞を受賞した。彼は無抵抗主義の絶対平和論者ではなく、国家防衛のための戦闘と国際緊張の緩和とは矛盾しないと考えていた。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「モネタ」の意味・わかりやすい解説

モネタ

イタリアのジャーナリスト。ガリバルディに従い統一戦争に参加。のちミラノ国際平和会議議長として平和運動を推進。1907年ノーベル平和賞。
→関連項目ルノー

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世界大百科事典(旧版)内のモネタの言及

【ユノ】より

…結婚の女神としては,ドミドゥカDomiduca(〈花嫁を花婿の家へ導く婦人〉),プロヌバPronuba(〈新婦を新婚部屋へ導く婦人〉),出産の女神としてはルキナLucina(〈子どもを光明の中へ出す女〉)などの呼称があり,一般に6月(彼女の名を冠してユニウスJunius月と呼ばれ,そこから英語のJuneなどが来ている)が結婚の好期とされた。またカピトリウム丘の北側の頂上にある彼女の神殿ではモネタMoneta(〈忠告者〉)と呼ばれたが,のちここに貨幣鋳造所が置かれたため,彼女の称号は貨幣の意となり,英語moneyなどの語源となった。 彼女の祭儀のうち,大祭は旧暦の元日にあたる3月1日のマトロナリアMatronalia祭で,この日,女性たちは奴隷に食事を供し,既婚女性が既婚男性から贈物を受けた。…

※「モネタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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