ルノー(読み)るのー(英語表記)Renault S.A.

共同通信ニュース用語解説 「ルノー」の解説

ルノー

ルノー兄弟が1899年に創業したフランス自動車大手。1945年に国有化されルノー公団となったが、96年に完全民営化。現在もフランス政府が筆頭株主で約15%の株式を持つ。99年に日産自動車が経営危機に陥ったことからルノーが出資して企業連合を結成。2016年には三菱自動車も連合に加わり、調達や開発の共通化を進める。17年に3社の世界販売が初めて1千万台を突破し、トヨタ自動車を抜き2位に浮上。18年は1075万台超と過去最高を記録し、2位を守った。(共同)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルノー」の意味・わかりやすい解説

ルノー(自動車メーカー)
るのー
Renault S.A.

フランスの自動車メーカー。1898年、ルイ・ルノーLouis Renault(1877―1944)が、兄2人とともにルノー兄弟商会を設立して自動車生産を開始したことに始まる。当時のフランスにおいて同社は後発メーカーであったが、ルノーの発明家としての才能や、自動車レースに数多く優勝して知名度が急速にあがったことなどにより、トップメーカーにのしあがった。また、早くからアメリカでの大量生産方式に関心をもち、第一次世界大戦中に軍需生産に協力した経験をもとに、戦後、流れ作業方式など合理的な生産方法を導入している。また、このころから小型車生産に取り組み始め、割賦販売を行うために信用会社を設立するなど大衆市場を目ざすようになった。1930年代後半には、大型車から小型車まで生産するフルライン・メーカーとして君臨し、フランスで生産される自動車の約半数がルノー製であった。第二次世界大戦中は、ドイツ占領下のフランスで軍需品製造の中心となり、空爆の標的にもされた。しかし、戦争が終わるとこうしたドイツへの戦争協力が強く非難され、1945年に懲罰的な意味をもって国有化され、ルノー公団Régie Nationale des Usines Renaultとなった。戦後は一貫して小型車を中心とした生産に集中し、輸出拡大にも力を入れる。その後、高度成長の波にのって順調に拡大し、フランス北部を中心にヨーロッパ数か国にも工場を建設、また、中型車や大型車にも新製品を投入し、再びフルライン・メーカーとして成長していった。しかし、1980年に買収したアメリカン・モーターズは、1987年にクライスラーに売却するなど、アメリカ市場の獲得には失敗した。1980年代なかばに経営危機に陥ったものの、子会社の売却や徹底した合理化を進めることで立ち直る。ヨーロッパ市場での競争力強化を目的として、1990年にスウェーデンのボルボとの提携を発表、合併を前提に交渉を進めていたが1993年に決裂した。また1994年に政府が保有株を一部売却、1996年に再び売却を行い、政府保有比率を46%まで引下げた結果、民営化が実現し現名称となった。1999年(平成11)3月に経営不振の日産自動車への36.8%の資本参加により提携し、自動車メーカーの世界的な再編に向けての動きに一歩を踏み出した。続いて同年にルーマニアのダキアDacia、翌2000年に韓国の三星(サムスン)自動車がルノー・グループに参加。2008年度のグループ売上高は377億9100万ユーロ、純利益5億9900万ユーロ。従業員数は約12万9068人(2008年末)。また、政府保有株の比率は15%である。

[小澤一男]


ルノー(Louis Renault)
るのー
Louis Renault
(1843―1918)

フランスの国際法学者。ソーヌ・エ・ロアール県オータンに生まれる。最初はディジョン大学で、のちパリ大学で法学を学び、1868年卒業。同年からディジョン大学、1873年からはパリ大学で、ローマ法、商法、国際法を講義した。1881年パリ大学教授となる。1890年以降、フランス外務省の法律顧問を務め、数々の国際会議にフランス代表として出席し、国際私法、国際運送、白人奴隷の廃止などさまざまな問題の解決に力を注いだ。またオランダのハーグで国際仲裁裁判所が開設されると、その裁判官として多くの仲裁裁判にかかわった。1899年、1907年と2回のハーグ平和会議に出席、海軍の紛争など、さまざまな討議に参加し、指導的役割を果たした。1907年、これらの業績により、イタリアのモネタとともにノーベル平和賞を受賞した。1914年にはハーグで創設された国際法アカデミーの会長に選出された。ノーベル賞のほかに19か国で勲章を、また多くの大学で名誉博士号を与えられている。

[編集部]


ルノー(Madelaine Renaud)
るのー
Madelaine Renaud
(1900―1994)

フランスの女優。パリ生まれ。コンセルバトアールではマリー・ベルと同級で、首席卒業者となり、1921年コメディ・フランセーズに入る。34年の『白き処女地』で映画スターとしても一躍有名となり、36年の映画『美しき青春』でジャン・ルイ・バローと共演、38年には結婚生活に入る。46年にはバローとともにコメディ・フランセーズから独立し、ルノー‐バロー劇団を設立し、以後彼とともに演劇活動を続けた。優美な演技で古典劇に定評がある一方、『おお美しの日々』などベケットやデュラスの前衛劇のヒロインでも有名であった。

[石澤秀二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルノー」の意味・わかりやすい解説

ルノー
Renault S.A.

フランスの自動車会社。1898年ルイ・ルノーと兄弟によってルノー・フレールとして創立。1905年,のちにタクシーとして広く採用される最初のモデルを発表,第1次世界大戦中に 600台のタクシーで兵士を戦場へ運ぶ作戦を遂行した「マルヌのタクシー」として名をはせた。1920年代には小型車の生産に乗り出し,フランスの自動車産業における有力な企業の一つとなった。第2次世界大戦後ナチスに協力したとして,1945年資産を国家に押収されるとともに国有化され,ルノー公団となった。のち,小型乗用車 4CVの大量生産に成功,1955年子会社サビエム SAVIEMを設立,トラック,バスなどの生産に進出。中型乗用車を中心に商業車,トラクタ,工業・船舶用エンジンを生産するほか,1974年シトロエンのバス・トラック部門や自動車メーカーの M.ベルリエを買収したのをはじめ,精密工具メーカーのコンストリュクシオン・ド・クリシ,オートバイメーカーのベロソレックスを買収するなど事業多角化を推進した。1990年にボルボと乗用車,商用車で提携し,株式会社に組織変更。フランス政府がボルボに 25%の株式を譲渡した。ボルボとの合併案はのちに撤回され,2012年にルノーは保有するボルボの株式をすべて売却した。一方 1999年日産自動車との間で資本提携を結び,事実上日産を傘下に収めた。同年にルーマニアのダチア,2000年にはサムスン・モータースも傘下に収めた。

ルノー
Renault, Louis

[生]1877. パリ
[没]1944.10.24. パリ
フランスの自動車製造者。フランス最大の自動車会社ルノーの創業者。1898年に初めて自動車を製造した。2人の兄フェルナン,マルセルとともに小型自動車を開発し,ルノー・フレール社を設立した。ルノー・フレールの車は数々のレースで優勝し注目を集めたが,1903年のパリ―マドリード自動車レースでマルセルが事故死,以後ルノーは自動車レースから撤退し,自動車製造に専念した。1918年に開発したルノーFT戦車は,第1次世界大戦末期に歩兵の護衛に活躍した。ブーローニュビヤンクールの工場の生産能力を増強し続け,戦後は農業機械,船舶機器,工業機械,ディーゼルエンジン(→ディーゼル機関)へと事業を拡大した。第2次世界大戦中もドイツ占領下で軍需品の製造を続けたため,フランスが解放されると,ナチスの協力者として投獄された。裁判前に獄中で死亡。ルノーの死後,1945年にルノー社は国有化された。

ルノー
Renault, Jean Louis

[生]1843.5.21. オータン
[没]1918.2.8. バルビゾン
フランスの法学者。ディジョン,パリ両大学教授を歴任,ローマ法,商法,国際法を担当したほか,外務省顧問 (1890) として外交政策を国際法の観点から検討。ハーグ平和会議 (99,1907) ,ロンドン軍縮会議 (08~09) などに出席。仲裁裁判官として多くの紛争の仲裁に成功。 1907年イタリアの E.モネータとともにノーベル平和賞を受賞した。主著"Introduction à l'étude du droit international" (1879) 。

ルノー
Renaud, Madeleine-Lucie

[生]1900.2.21. パリ
[没]1994.9.23. パリ郊外
フランスの女優。 1921年コメディー・フランセーズで初舞台を踏み,モリエール喜劇の生娘役で成功,早くから映画にも出演,その洗練された演技が人気を呼んだ。 J.-L.バローと結婚し,46年劇団を創立,マリニー座で J.ジロドゥや P.クローデルの作品を演じ,S.ベケット,M.デュラスなど前衛的作品でも意欲的に活躍。現代フランスきっての名優と認められる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ルノー」の意味・わかりやすい解説

ルノー
Madeleine Renaud
生没年:1900-94

フランスの女優。パリに生まれ,コンセルバトアール演劇科を首席で卒業,21年にコメディ・フランセーズに入座し,28年に正座員となる。はじめは娘役を,やがてコケット役に転じ,その美貌と端正な演技で観客を魅了した。第2次大戦中の42年にモンテルラン作《死せる女王》,43年にはジャン・ルイ・バロー演出のクローデル作《繻子の靴》など大作の主役を演じて成功したが,46年に夫でもあるバローとともにコメディ・フランセーズを退団,ルノー=バロー劇団を創設した。以来,もっぱら古典劇で活躍してきたが,60年代より前衛劇にも進出し,とくに63年のベケット作《美わしの日々》のウィニー役は絶賛を博した。その後もデュラスやジュネらの新作に出演している。明晰なせりふ回し,優雅な身ぶり,そして何よりも戯曲の内奥に迫ろうとする激しい気迫は,観客に圧倒的な感銘を与える。ルノーというひとりの女優のなかに古典と前衛,伝統と革新の融合が,フランス演劇そのものが体現されているといっても過言ではない。
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百科事典マイペディア 「ルノー」の意味・わかりやすい解説

ルノー[会社]【ルノー】

フランス第1位の自動車企業。1898年ルノー工場創立。第2次大戦中の対独協力により戦後没収,国有化されたが,1996年に民営化した。現在でもフランス政府が15%の株式を保有する。乗用車を中心にバス,軍事用車両,トラクターなども生産。4CV型は戦後の一時期日本でも日野自動車が組立生産した。海外進出にも意欲的で,1999年3月,日産自動車との提携により,日産自動車株44%,日産ディーゼル株23%を取得,日産の再建に成果を上げた。しかし2008年の世界同時不況の打撃を受け,売上げは前年比日大幅減となった。2010年4月ルノー・日産グループは,ドイツのダイムラーと包括的な資本・業務提携を結んだことを発表した。本社ブーローニュ・ビヤンクール(パリ西郊)。2011年12月期売上高426億2800万ユーロ。
→関連項目日産ディーゼル工業[株]

ルノー

フランスの女優。コンセルバトアール演劇科卒業後,コメディ・フランセーズで人気を博した。1940年バローと結婚,1946年ルノー=バロー劇団を結成し,マリニー座を拠点に活躍。可憐(かれん)な娘役から老(ふけ)役まで幅広い演技力の持主で,《白き処女地》など映画出演も多い。

ルノー

フランスの法学者。ディジョン,パリ等の大学で商法や国際法を講じ,後政府顧問,国際仲裁裁判所判事,ハーグ国際平和会議代表。モネタとともに1907年ノーベル平和賞。著書多数。

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367日誕生日大事典 「ルノー」の解説

ルノー

生年月日:1843年5月21日
フランスの法学者
1918年没

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