日本大百科全書(ニッポニカ) 「やつし事」の意味・わかりやすい解説
やつし事
やつしごと
歌舞伎(かぶき)演出用語。高位の若殿や金持ちの若旦那(だんな)などが流浪して卑しい身分に落ちぶれた姿を見せる演技、またはその演技を中心にした場面をいう。みすぼらしくする、姿を変えるという意味の「やつす」が名詞化した語。「和事(わごと)」の一種で、これを得意とする俳優を「やつし方」という。貴種流離譚(たん)の系統を引くものだが、役の形態としては、やむをえない零落のほか、なんらかの目的の手段として身を落とす場合もある。延宝(えんぽう)年間(1673~81)の上方(かみがた)歌舞伎で基礎がつくられ、元禄(げんろく)(1688~1704)の名優坂田藤十郎は、とくにこれを演技の目標とした。落ちぶれながらも、なお恋愛で苦労するさまを見せるのが原則のようになっていて、現存の演目では『廓文章(くるわぶんしょう)』の伊左衛門が適例といえる。
[松井俊諭]