ラソーダ(読み)らそーだ(その他表記)Thomas Charles Lasorda

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラソーダ」の意味・わかりやすい解説

ラソーダ
らそーだ
Thomas Charles Lasorda
(1927―2021)

アメリカのプロ野球選手(左投左打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)、カンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)で投手としてプレー。1976年からはロサンゼルス・ドジャースで監督として采配(さいはい)を振るった。「自分の体にはドジャー・ブルーの血が流れている」との名言を残し、ドジャース一筋に指揮をとり続けた名監督である。

 9月22日、ペンシルベニア州ノリスタウンで生まれる。1954年に大リーグのドジャースへ昇格。左投げのカーブ投手だったが、4試合に登板して勝敗はつかなかった。翌1955年も4試合で勝敗なし。1956年にはアスレチックスに移籍したが、ここでも18試合でセーブ1はあげたものの、勝ち星なしの4敗と結果を残せず、以降、大リーグに再昇格することはできなかった。1976年のシーズン終盤でドジャースの監督に登用されると、現役時代とは対照的な華々しい活躍をみせ、1977年と1978年には連続リーグ優勝。いずれもワールド・シリーズではニューヨーク・ヤンキースに敗れたが、1981年にはそのヤンキースを倒して「世界一」となった。1983年と1985年には地区優勝。1988年は、貧弱な打線を酷評されながらワールド・シリーズで強力打線のアスレチックスを破った。1995年は、野茂英雄(のもひでお)がデビューして旋風を巻き起こし、チームも地区優勝した。1996年にもチームはプレーオフに進出したが、健康上の理由からシーズン途中で監督の座を退いた。以降は球団幹部となり、1998年途中でゼネラルマネージャー不在となると、9月までゼネラルマネージャー代理となった。2000年にはアメリカのオリンピック代表チームの監督となり、オリンピック・シドニー大会で金メダルを獲得した。2001年から2年間、ドジャースは大阪近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)と提携したが、この友好関係の構築に尽力し、アドバイザー役として日本を訪れ、選手の指導なども行った。2006年は初の開催となった、世界16か国が参加する国別対抗戦、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の宣伝に努めた。

 選手としての3年間の通算成績は、登板試合26、投球回58と3分の1、0勝4敗、防御率6.48、奪三振37、完投0、完封0。監督としての通算成績(21年)は、1599勝1439敗、リーグ優勝4回、ワールド・シリーズ優勝2回、最優秀監督賞2回。1997年に野球殿堂入り。

[山下 健]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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