野茂英雄(読み)のもひでお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

野茂英雄
のもひでお

[生]1968.8.31. 大阪,大阪
プロ野球選手。投手。高校卒業後,社会人野球チームに所属。 1988年ソウル・オリンピック競技大会に出場し銀メダルを獲得した。 1989年プロ野球近鉄バファローズに入団。5シーズンの通算成績は 78勝 46敗,防御率 3.08。 1994年シーズン終了後,近鉄との契約更改交渉が決裂,任意引退のかたちをとって翌 1995年大リーグのロサンゼルス・ドジャーズに入団,村上雅則に次ぐ史上2人目の日本人大リーガーとなった。 1995年 13勝6敗の成績でナショナルリーグの新人王を獲得オールスターゲームでも先発投手を務めた。 1996年9月コロラド・ロッキーズを相手に無安打無得点を達成。 1998年ニューヨーク・メッツ,1999年ミルウォーキー・ブリュワーズ,2000年アメリカンリーグのデトロイト・タイガーズに所属。 2001年ボストン・レッドソックスに移籍し,4月にボルティモア・オリオールズを相手に2度目のノーヒットノーランを達成。「トルネード」と呼ばれる投球法とフォークボールで注目を集めた数シーズンは,マスコミに大きく取り上げられ,先発を務める試合がしばしば日本で生中継されるなど,日本の国民的英雄とたたえられた。また,日本人選手の大リーグ進出への大きな足がかりをつくった。

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デジタル大辞泉の解説

のも‐ひでお〔‐ひでを〕【野茂英雄】

[1968~ ]プロ野球選手。大阪の生まれ。社会人野球を経て、平成元年(1989)近鉄バファローズ(オリックスの前身)に入団。1年目に最多勝・最多奪三振・最優秀防御率のタイトルを独占し、新人王・沢村賞MVPを獲得。平成7年(1995)米国メジャーリーグに移籍し、ナショナルリーグの新人王と最多奪三振のタイトルを獲得。平成8年(1996)と平成13年(2001)にはノーヒットノーランを達成した。

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百科事典マイペディアの解説

野茂英雄【のもひでお】

プロ野球選手。投手。大阪市生れ。新日鉄堺時代に1988年のソウルオリンピックへ出場。翌年8球団からドラフト1位指名を受け近鉄バファローズに入団し,4年連続最多勝,最多奪三振のタイトルを獲得。1995年任意引退という形で,米大リーグに移籍し,ロサンゼルス・ドジャースと契約。1964年にサンフランシスコ・ジャイアンツに入団した村上雅則に次いで2人目の日本人大リーガーとなった。1年目から先発ローテーション入りし,13勝をあげて新人王などを獲得したほか,オールスター・ゲームに先発して〈NOMO〉旋風を巻き起こした。〈トルネード(竜巻)投法〉と呼ばれる独得のフォームと,落差の大きいフォーク・ボールに特徴がある。1996年,2001年と二度ノーヒット・ノーランを達成。1998年メッツ,1999年ブリュワーズ,2000年タイガース,2001年レッドソックス,2002年古巣ドジャースへ移籍。2008年現役引退。日米通算201勝。
→関連項目外国人選手

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野茂英雄 のも-ひでお

1968- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手。
昭和43年8月31日生まれ。実業団の新日鉄堺をへて,平成2年近鉄に入団。トルネード投法による速球とフォークボールを武器に,入団以来4年連続最多勝。在籍5年で78勝46敗,1204奪三振。7年大リーグのドジャースに入団し,オールスターにも出場,13勝6敗で新人王となる。のちメッツ,ブリュワーズ,タイガースなどにうつり,13年レッドソックスで2度目のノーヒットノーランを達成した。20年引退。日米通算成績201勝155敗,3119奪三振。26年史上最年少で野球殿堂入り。27年大リーグなどのスカウトを支援する財団から「ベースボール・パイオニア賞」を授与される。大阪府出身。成城工卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

野茂英雄
のもひでお
(1968― )

プロ野球選手(右投右打)。アメリカ大リーグ(メジャー・リーグ)でもプレーした投手。大阪府生まれ。1987年(昭和62)成城工業高校を卒業後、新日鉄堺(さかい)を経て、89年(平成1)ドラフト1位で近鉄バファローズ(現、オリックス・バファローズ)に入団。1990年最多勝、防御率、勝率、奪三振、新人王、ベストナイン、沢村賞、最優秀選手(MVP)の8冠を獲得し、以後94年まで4年連続パシフィック・リーグの最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得した。1995年1月近鉄バファローズを退団し、同年4月にアメリカ、ナショナル・リーグのロサンゼルス・ドジャースとメジャー契約。6月2日対ニューヨーク・メッツ戦で初勝利をあげたあと7連勝し、7月のオールスター戦には日本人として初めて出場し先発投手を務めた。同年は13勝6敗、236奪三振(リーグ1位)で、リーグの新人王を獲得した。大リーグ2年目の1996年8月には大リーグ通算400奪三振、2年連続200奪三振を達成。9月17日対コロラド・ロッキーズ戦でノーヒットノーランを達成した。同年は16勝11敗の成績を残した。「トルネード(竜巻)」とよばれる独特のフォームから投げられる直球とフォーク・ボールは多くのファンを興奮させ、「ノモ・マニア」のことばまで生まれた。1990年パ・リーグ会長特別表彰、プロスポーツ大賞受賞。1995年菊池寛賞を受賞。
 1998年6月、シーズン途中でドジャースからニューヨーク・メッツに移籍したが、99年春季キャンプで解雇され、シカゴ・カブスを経て、ミルウォーキー・ブリュワーズに移籍、12勝をあげた。2000年1月、アメリカン・リーグのデトロイト・タイガースと契約し、開幕投手をつとめたが、8勝12敗に終わった。同年12月、ボストン・レッドソックスに入団。2001年はチーム最多の13勝をあげ、リーグ3位となる220奪三振を記録。4月4日の対ボルティモア・オリオールズ戦で、自身2回目となるノーヒットノーランを達成した。ア・ナ両リーグでの達成は、大リーグ史上4人目となる快挙であった。同年12月に古巣のドジャースに復帰、2002年、03年ともにチーム最多の16勝をあげた。2002年6月には大リーグ通算1500奪三振を、03年4月には大リーグ通算100勝を達成している。2005年タンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)に移籍、同年6月に日米通算200勝を達成したものの、その後成績が振るわず、デビルレイズの若手選手中心の起用策もあり、翌7月に解雇された。同月ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶ。[森岡 浩]

2006年以降

2006年はシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約したが、右肘(ひじ)の故障で自由契約となり、2007年も大リーグ復帰はならなかった。2008年はカンザスシティ・ロイヤルズで3年ぶりの大リーグ復帰を果たしたが、わずか3試合の登板で戦力外となり、7月に現役引退を表明した。
 日本での5年間の通算成績は、登板試合139、投球回1051と3分の1、78勝46敗、防御率3.15、奪三振1204、完投80、完封13。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利4回、最高勝率1回、最優秀防御率1回、最多奪三振4回、MVP1回、ベストナイン1回、沢村賞1回。大リーグでの実働12年間の通算成績は、登板試合320、投球回1972、123勝109敗、防御率4.21、奪三振1915、完投16、完封9。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多奪三振2回。[編集部]
『野茂英雄著『僕のトルネード戦記』『ドジャー・ブルーの風』(1997・集英社)』

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