20世紀日本人名事典 「ランパートジェームス」の解説
ランパート ジェームス
Lampart James Benjamin
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1914年4月16日
- 没年
- 1978年7月10日
- 出生地
- ワシントンD.C.
- 学歴〔年〕
- ウェストポイント陸軍士官学校〔’36年〕卒,マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院土木工学専攻〔’39年〕修士課程修了
- 経歴
- 第2次大戦中は南・西太平洋各地で兵役に就き、ソロモン諸島やフィリピン攻略の工兵隊に所属、戦後1946年3月まで日本に駐留。これより先、戦略核兵器の専門家として大戦中に米陸軍工兵隊に原爆製造が委ねられたマンハッタン計画に関与、日本駐留後も約11年間核エネルギーの開発や軍事利用の研究に参画、’52年から原子力の軍事利用計画にも関わり“原爆男”と称された。’58年以降、在ベトナム米軍事顧問団次席、陸軍省軍事施設局長、陸軍士官学校長、国防省次官補を歴任。’69年1月琉球列島米陸軍司令官兼高等弁務官(第6代)に就任、’72年5月沖縄返還まで在任し米国統治下最後の高等弁務官となった。在任中B52戦略爆撃機爆発事故、毒ガス兵器のガス洩れ事故などで住民の反戦復帰運動が熾烈化したが、米軍基地の維持を前提条件として、沖縄の日本復帰準備を進めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報