南太平洋に位置する島しょ国。人口74万人。英国王を元首とする立憲君主制。軍隊はない。1978年に英国から独立。83年に台湾と外交関係を結んだが、2019年に断交し中国と国交を樹立した。22年に中国と安全保障協定を締結。中国の軍・警察派遣や艦船寄港を認める内容とみられている。首都ホニアラのあるガダルカナル島は、太平洋戦争中に日米が激戦を繰り広げた地として知られる。(シドニー共同)
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オーストラリアの北東1800キロメートルに位置するメラネシアの群島国家。国土面積2万8896平方キロメートルで、太平洋島嶼(とうしょ)国のなかではパプア・ニューギニアに次ぐ広さである。人口48万3000(2006年推計)、52万3170(2009年、世界銀行)。1978年7月にイギリスから独立。使用通貨はソロモン・ドルで、英語が公用語。部族ごとにたくさんの言語があるので、人々の共通語としてピジン英語が使われている。首都はガダルカナル島のホニアラで、人口は約6万(2010年)。
[小林 泉]
大小1000もの島々からなる国土は、九つの州に区分されている。主要島は六つあり、北側にチョイスル島、サンタ・イザベル島、マライタ島、南側にニュー・ジョージア島、ガダルカナル島、サン・クリストバル島が2列に並んでいる。熱帯雨林に覆われた丘陵島が多いが、国内最大のガダルカナル島には標高2000メートルを超える山がある。古くはパプア・ニューギニアと陸続きだったため、古い地質の陸島(大陸棚が存在する島)と火山島が混在しており、地震のある島としても知られる。気候は1年を通じて高温多湿であるが、5月から12月にかけては比較的雨の少ない季節である。国土が海洋に分散しているが、パプア・ニューギニアやバヌアツの島が隣接しているために、排他的経済水域はクック諸島よりも狭い134万平方キロメートルにとどまっている。
住民は95%がメラネシア系で、総人口の2割弱が都市部で賃金労働に従事しているが、そのほかの大半の国民はタロ、ヤム、キャッサバなどの根茎類や豆類を焼畑で耕作する伝統的自給農業や沿岸漁業で暮らしを立てている。
[小林 泉]
南アメリカのペルーから出航したスペインの探検家アルバロ・デ・メンダーニアは、1568年に到達した島をサンタ・イザベルと名づけた。ペルーに戻った彼は、周辺島嶼を含めてこの一帯をソロモン諸島と命名する。これは旧約聖書に登場するソロモン王の失われた黄金伝説にちなんだもので、本国スペインの関心を集めて再度の探検資金を調達するためであった。しかし、二度目の探検が実現できたのはそれから27年後、結局メンダーニアは黄金をみつけられずマラリアで死亡した。その後の約300年間はほとんど忘れ去られた諸島となり、ふたたび関心が高まるのは19世紀に入ってからであった。捕鯨船の寄港、ナマコや白檀(びゃくだん)、べっこうなどを求める貿易商、キリスト教各会派の宣教師が行き交い、ビーチコーマーとよばれる白人たちも住み着くようになった。イギリスは1893年に中部・東部の島々の領有を宣言、さらに1900年にはドイツと領有権を争っていたサモアからの撤退を条件に、ドイツ領であった北西部を獲得して、現在のソロモン諸島全域を植民地とした。
太平洋戦争が始まった翌年の1942年、日本軍がガダルカナル島に進出すると、同島および周辺海域は日米の主戦場と化し、日本人将兵2万人超の戦死者を出した。
太平洋戦争終戦後はふたたびイギリスの統治が始まった。その後の各地での植民地独立機運の高まりのなかでイギリスはソロモン諸島からの撤退を視野に入れ、1970年に公選議員による自治評議会を発足させた。1976年には自治政府が樹立され、1978年にソロモン諸島として独立した。
[小林 泉]
政体はイギリス女王(国王)を元首とする立憲君主制で、女王の名代を務める総督は選挙で選ばれる。議会は議席数50の一院制で任期は4年。議院内閣制をとっており、政府は首相と20人の閣僚で構成される。
この国の地理的範囲は、イギリスの植民地統治の都合により決められたもので、言語、慣習が異なるそれぞれの島の住民にとっては単一行政で統合される必然性は皆無であった。人々にはソロモン諸島を一つの運命共同体としてとらえる国家意識はなく、結果としてつねに出身島の利害や部族間の対立が政治に反映されることになった。この弊害が顕著に表面化したのが、1998年に起こった激しい部族衝突である。首都の置かれるガダルカナル島には、対岸にあるマライタ島出身の公務員や労働者が多数居住しているが、これを排斥しようとしたガダルカナル人に対するマライタ人の報復が激化したのである。これが2000年6月には、マライタ人武装勢力による首相拘束事件にまで発展。政権交代が起こり、政府とガダルカナル、マライタ双方の武装勢力代表の間で和平協定が結ばれたが、その後も混乱は収まらなかった。結局、2003年にオーストラリア、ニュージーランドの警察・軍が中心となったソロモン地域支援ミッション(RAMSI=Regional Assistance Mission to Solomon Islands)が派遣されて、ようやく治安が改善された。2010年8月、国際選挙監視団が監視するなか、総選挙が平和裏に実施されて新しい政権が発足したが、これで本質的な解決とはならない。中央集権制を維持するか、地方分権による連邦制国家にするかの議論は今後も続くであろう。
[小林 泉]
国民の75%は自給的な農業や沿岸漁業に従事している。周辺海域は好漁場で、外国との合弁による水産業は早くから始まっている。魚貝類、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、パーム油などの一次産品が数少ない輸出品目で、これらの輸出額は年間4000万ドル(アメリカ・ドル)程度。1990年代になって、主としてマレーシア資本の木材伐採事業が盛んになり、この輸出で年間6000万ドル(アメリカ・ドル)以上を稼ぎ出しているが、一方で森林伐採による環境破壊も問題になっている。ボーキサイト、金、銅、マンガン、ニッケルなどの鉱物資源の存在も確認されているが、開発は進んでいない。
比較的大きな島が分散しているため、都市部を除いた伝統的な村落社会の開発がほとんど進んでおらず、貨幣経済も十分に浸透していない。それは植民地行政が地方まで及ばなかったからで、成人の識字率を60%程度の低い水準にとどめている原因である。国内生産の不足は、海外出稼ぎによる送金で補っているのがポリネシア、ミクロネシア諸国の典型的な経済構造であったが、ソロモン諸島などメラネシア諸国では西洋人との接触が少なく、植民地の影響を受けなかった分だけ現代社会への適応が遅れ、外国に出稼ぎに出る条件が整わなかった。国土も大きく潜在鉱物資源も豊富なこの国の1人当りGNI(国民総所得)が 910ドル(アメリカ・ドル、2009年)と域内で最低の水準にあるのは、そのためである。国全体のGDP(国内総生産)は4億8000万ドル(アメリカ・ドル、2009年)。しかし、原初的豊かさを秘めた伝統社会での人々の暮らしは、この現金水準で想像するよりもはるかに豊かだといえるだろう。
19世紀に入って急増した西洋人の流入時からキリスト教が浸透し、いまではプロテスタント系の各会派の活動によってほぼ全国民がキリスト教徒になった。1998年に、最南端にあるイースト・レンネル島(東レンネル)が世界遺産(自然遺産)に登録されている(2013年、危機遺産リスト入り)。
教育制度は、6年制の初等教育と7年制の中等教育が設けられており、教育使用言語は英語。離島や未開発地域が多いため、初等教育の就学率は60%程度にとどまっている。高等教育機関としては、国内に南太平洋大学(本校はフィジー)の分校と教員養成短期大学があるが、奨学金を得られた者はオーストラリアの大学や南太平洋大学本校など海外に出る。
[小林 泉]
太平洋戦争で日米軍隊の激戦地となったガダルカナル島やその周辺諸島には、いまでも日本からの慰霊団が訪れている。ホニアラ国際空港の滑走路は、旧日本軍が建設した跡を整備してつくった。また、空港ビルの建設には日本の援助が入っている。戦争という歴史があったものの、一般住民に反日感情はなく親日的である。日本は入漁協定を結んでおり、日本漁船がこの近辺海域で操業している。2009年(平成21)までの日本からの累積ODA(政府開発援助)供与額は283.41億円になっており、青年海外協力隊をはじめとする援助関係者を中心に70人ほどの在留邦人がいる(2009)。ホニアラにも駐在官事務所が置かれており、駐パプア・ニューギニア大使館が兼轄している。
[小林 泉]
『秋道智彌・関根久雄・田井竜一編『ソロモン諸島の生活誌』(1996・明石書店)』▽『大塚柳太郎編『ソロモン諸島 最後の熱帯雨林』(2004・東京大学出版会)』
基本情報
正式名称=ソロモン諸島Solomon Islands
面積=2万8896km2
人口(2010)=54万人
首都=ホニアラHoniara(日本との時差=+2時間)
主要言語=メラネシア諸語,ピジン・イングリッシュ,英語
通貨=ソロモン諸島ドルSolomon Islands Dollar
南西太平洋,メラネシアの独立国。
独立国としてのソロモン諸島は,地理上のソロモン諸島のうち,北部のブカ島とブーゲンビル島(いずれもパプア・ニューギニア領)を除いた島群で構成され,南緯5°~12°,東経155°~170°の海域に,ブーゲンビル島の南端からサンタ・クルーズ諸島まで,北西から南東方向に2列の島列をなす。ショアズール,サンタ・イサベル,ニュージョージア,ガダルカナル,マライタ,サン・クリストバルの主要6島をはじめ,山がちの火山島が多く,その他多くの小さな環礁,隆起サンゴ礁がある。最大の島はガダルカナル島。気候は高温多湿で,4~11月に南東貿易風が卓越し,年降水量は3000~3500mmで,日中の気温は26℃以上に達する。島々は熱帯雨林におおわれて有用材も多いが,動物相は貧弱で,海岸部ではココヤシ栽培が盛んである。レンネル島でボーキサイト鉱の埋蔵が確認されているが,未開発である。周囲の海は水産資源にめぐまれ,とくにカツオ漁が盛んである。
住民の約94%がメラネシア人で,ポリネシア人は4%にすぎない。このほか,おもにキリバス(ギルバート諸島)から移住したミクロネシア人,中国人,ヨーロッパ人が若干いる。人種的にみて,メラネシア人は中等身で縮毛,波状毛,広鼻をもち,皮膚は黒色から明褐色まで変異がある。ポリネシア人は東部の離島に居住する。メラネシア人の大部分とポリネシア人は,アウストロネシア語族に属する言語をもつが,一部の島(ニュージョージア,ラッセル,サンタ・クルーズなど)では,非アウストロネシア語(パプア語)を話す人々がいる。最も人口稠密な島はマライタ島で,全人口の25%が集中する。住民はタロイモ,サツマイモなどの栽培を中心とする焼畑農耕民で,海岸部やサンゴ礁島では漁労も盛んである。人口50~200人規模の村落を基盤として生活を営み,村にはビッグマンとよばれる首長がいる。村ごとに男子集会所や秘密結社があり,祖先霊崇拝や成人式儀礼を行う中心的役割を果たす。精霊信仰も盛んであり,マナとよばれる超自然的存在に対する信仰が顕著である。かつて行われた首狩りの風習もマナ信仰に関連がある。貝,イヌ,イルカ,羽毛などを用いた伝統的通貨が用いられてきた。
執筆者:秋道 智弥
1568年にスペインの航海者メンダーニャがヨーロッパ人として初めてこの諸島を発見したが,彼が旧約聖書のソロモン王の財宝を捜し求めていたことから,ソロモン諸島と呼ばれるようになった。1870年代になって,フィジーやオーストラリアの農園のための労働者狩り(ブラックバーディング)が行われ,イギリスはその対策として93年に諸島南部の保護領化を宣言した。その後ドイツとの境界線画定協定などにより,1900年までにブーゲンビル島,ブカ島を除く北部も保護領に編入された。第2次大戦ではガダルカナル島を中心に日米の死闘の場となった。1945年には主都が,戦火で破壊されたトゥラギ島のトゥラギからガダルカナル島のホニアラに移された。76年に自治領となり,78年7月7日,イギリス連邦の一員として独立した。イギリス国王を元首とする立憲君主制で,名代の総督が任命される。一院制の国会(定員47,任期4年)があり,18歳以上の全国民が選挙権をもつ。80年の独立後初の総選挙で統一党が勝ち,P.ケニロレアが自治政府時代から引き続いて首相になった。81年に不信任案が可決され,人民同盟党のS.ママロニが首相に就任したが,小党分立のため政局は不安定で,首相が度々交代している。政党組織が弱く,地域対立や人脈中心の小党分立なのは,多言語,地域主義のパプア・ニューギニア,バヌアツのようなメラネシア国家に共通している。
貨幣経済は首都ホニアラとその周辺のみで,国民の80%は農村,漁村に住んで自給自足の生活を送っている。国家財政は先進国からの援助と国債の発行に頼り,一方で輸出振興のため免税措置をとったので,90年代後半には慢性的な赤字状態に陥った。輸出産業は漁業と林業で,ソロモン諸島政府と日本のマルハ(旧,大洋漁業)との合弁企業ソロモン・タイヨーはノロ港を中心に従業員2000人を雇用,カツオ,マグロ漁と缶詰工場で外貨取得に貢献している。国営の漁業開発会社も冷凍魚を輸出している。丸太材はウェスタン州,ショアズール州などからおもに日本,韓国に輸出されるが,90年代半ばには乱伐による環境破壊が表面化してき,木材管理法が検討されている。
日本は1980年から代理大使が常駐し,94年に大使館が設置された。日系ホテルも進出し,ソロモン・タイヨー,国際協力事業団,海外青年協力隊など約250人の在留邦人がいる。
執筆者:青木 公
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太平洋南西部の島群。1568年,メンダーニャがヨーロッパ人として初めて来航。19世紀にドイツが北部を,イギリスが南部を支配下に置いた。第一次世界大戦後は国際連盟の委任統治領としてオーストラリアが管理した。第二次世界大戦時は一時期日本の支配下となり,激戦場となった。1978年にイギリス連邦の一員として独立した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ペルー総督の甥であったメンダーニャは,うわさに聞く黄金のあふれる南方大陸を発見・領有すべく,1567年ペルーのカヤオ港を出帆,南太平洋に向かった。一行はエリス諸島を望見し,68年ソロモン諸島のサンタ・イサベル,ガダルカナル,マライタ,サン・クリストバル島を〈発見〉した。サン・クリストバル島に植民地を建設しようとしたが失敗し,68年カヤオに帰着した。…
※「ソロモン諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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