リトアニア大公国(読み)りとあにあたいこうこく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リトアニア大公国」の意味・わかりやすい解説

リトアニア大公国
りとあにあたいこうこく

中世リトアニア人の国。リトアニアLithuaniaの諸部族は13世紀に統合され、ゲディミナスGediminas(在位1316~41)の代に大公国と称し、ロシア系住民の地域にも支配を拡大し、アルギルダスAlgirdas大公(在位1345~77)によってウクライナの大部分が併合され、バルト海から黒海に及ぶ大国となった。その後、ドイツ騎士団の脅威を防ぐためヤギェウォJagiełło(ヤガイラJagaila)大公(在位1377~92)は、ポーランドと同盟し、1386年ウワディスワフ2世WładysławⅡ(在位1386~1434)としてポーランド王につき、リトアニアとポーランドの王朝連合が成立した。そして1410年にはポーランドと協力して、ドイツ騎士団を大敗させ、ドイツ人の脅威を最終的に取り除いた。以降、上層階級のポーランド化が進んだが、15世紀後半からモスクワ公国の台頭によって国勢が衰え、1501年からポーランドと同君連合し、69年にはルブリンの合同によって、ポーランド王国と合体した。

[安部一郎]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リトアニア大公国」の解説

リトアニア大公国(リトアニアたいこうこく)

14~16世紀のバルト海東南岸の大公国。リトアニア人は古くからニーメン川流域に住んだが,13世紀ドイツ騎士団の脅威に抵抗して統一国家を形成した。14世紀にゲディミン,オリゲルトらが現れて国土を膨張させ,大公を称し,一時中世ヨーロッパの大国の一つになった。ヤギェウォ朝のときポーランドと合同し,カトリック改宗。ヴィトフト王の時代にはリトアニア重視政策がとられたが,その後国運は衰え,1569年ルブリン合同で,リトアニアは完全にポーランドの指導下に置かれることになった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のリトアニア大公国の言及

【リトアニア】より

…南西にロシア連邦の飛地カリーニングラード,南にポーランド,東にベラルーシ,北にラトビアと国境を接する。中世末に東ヨーロッパの大国(リトアニア大公国)になったが,その後ポーランドと国家連合を結び,それに従属する形となり,ポーランドとともにロシアに編入された。1918年2月16日に独立国家の復活を宣言したが,40年にソ連邦の一共和国になった。…

※「リトアニア大公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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