改訂新版 世界大百科事典 「リバロル」の意味・わかりやすい解説
リバロル
Antoine Rivarol
生没年:1753-1801
フランスの文筆家。南フランスに生まれ,神学校に学んだのちパリ社交界に入る。伯爵を自称し,その陽気で野放図な性格によって数々の逸話を残す。才気に富んだ筆致で同時代の文人を揶揄(やゆ)した《当代大家小鑑》(シャンスネとの共作,1788年匿名で刊行)は多くの敵を作った。またフランス革命後の宮廷側に立ち,政界人を相手どる文書をつづったが,そのため革命勢力に追われ,外国を転々としたのちベルリンで没した。だが彼の名を文学・語学史上にとどめた作といえば何よりもまず,ベルリン・アカデミーの懸賞論文に当選した《フランス語の世界性についてDiscours sur l'université de la langue française》(1784)であろう。隣接諸国語と対比しつつ,〈明晰でないものはフランス(語)的でない〉などの警句を随所に用い,熱気のある文体で自国語の優越を説いたこの著述は,今日では数々の遺漏を指摘されてはいるものの,この時期,西欧圏に君臨したフランス語への賛辞として,自国民に誇りを与えるに十分なものであった。
執筆者:井村 順一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報