ルーチェ

デジタル大辞泉プラス 「ルーチェ」の解説

ルーチェ

マツダが1966年から1991年まで製造、販売していた乗用車。4ドアセダンを中心とする。同社の最上級車種であり、ロータリーエンジンを搭載するモデルもあった。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のルーチェの言及

【イタリア映画】より


[ムッソリーニの映画政策]
 ムッソリーニ政権下ではたしかにイタリア映画は衰退したが,やがて〈ネオレアリズモ〉の名でよみがえるイタリア映画復興のほとんどすべての基盤が準備され,築かれたのもこの時期である。1925年,〈映画による教育宣伝を目的〉とした映画公社〈ルーチェLUCE〉の設立,32年ベネチアの〈ビエンナーレ展〉に映画部門開設(1934年からベネチア国際映画祭としてスタート),34年民衆文化省映画局の設立,35年映画学校〈チェントロ・スペリメンターレ・ディ・チネマトグラフィア(映画実験センター)〉開校,37年映画都市と呼ばれたチネチッタ撮影所の建設,さらに同映画理論誌《ビアンコ・エ・ネーロ》および《チネマ》の創刊等々。〈ネオレアリズモ〉の先駆となった《太陽》(1929),《1860年》(1933)の監督アレッサンドロ・ブラゼッティ,《レール》(1929),《人間,なんたる悪党》(1932)の監督マリオ・カメリーニがデビューしたのもこのファシズム時代においてであり,ファシズムの映画体制を促進する目的で作られた映画実験センターからは,ロベルト・ロッセリーニ,ルチアーノ・エンメル,ミケランジェロ・アントニオーニ,ルイジ・ザンパ,ピエトロ・ジェルミ,ジュゼッペ・デ・サンティス,フランチェスコ・マゼッリらが,またムッソリーニの息子ビットリオ・ムッソリーニを編集長にいただいた《チネマ》誌の同人からは,ルキノ・ビスコンティ,チェーザレ・ザバッティーニ,カルロ・リッツァーニら,のちに世界の映画界に衝撃を与える〈ネオレアリズモ〉を担う映画作家たちが輩出したのである。…

※「ルーチェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android