ワシレフスキー(読み)わしれふすきー(その他表記)Александр Михайлович Василевский/Aleksandr Mihaylovich Vasilevskiy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワシレフスキー」の意味・わかりやすい解説

ワシレフスキー
わしれふすきー
Александр Михайлович Василевский/Aleksandr Mihaylovich Vasilevskiy
(1895―1977)

ソ連軍人。第一次世界大戦に将校として参加し、1918年に赤軍入隊。1937年に赤軍参謀大学を卒業して参謀本部に入り、翌1938年共産党に入党した。第二次世界大戦中、優れた軍事作戦家として参謀次長(1941)、同総長兼国防人民委員代理(1942)に任命され、スターリングラード作戦やクルスク作戦で有名となった。1943年に元帥。1945年6月、日本軍との戦争準備のため極東ソ連軍司令官に任命。戦後はふたたび参謀総長、軍事大臣(1949)、陸軍大臣(1950~1953)、国防大臣第一代理(1953~1957)などを務めた。第19回(1952)と第20回(1956)党大会で党中央委員に選出されている。

[藤本和貴夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワシレフスキー」の意味・わかりやすい解説

ワシレフスキー
Vasilevskii, Aleksandr Mikhailovich

[生]1895
[没]1977.12.5.
ソ連の軍人。第2次世界大戦末期の 1945年8月9日,満州の日本軍を奇襲したソ連極東軍の総司令官。帝政軍予備中尉を経たあと,17年レニングラード革命軍事委員として,国内戦に参加。 37年赤軍参謀大学卒業,41年参謀次長。 42~44年国防人民委員第1代理,最高統帥部幕僚。この間,独ソ戦線で方面軍司令官。 43年ソ連邦元帥。 45年極東軍総司令官に就任。 46年参謀総長,50年国防相。 57年退役。

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