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アブデュルアジーズ Abdülaziz

世界大百科事典 第2版の解説

アブデュルアジーズ【Abdülaziz】

1830‐76
オスマン帝国の第32代スルタン。在位1861‐76年。帝の治世タンジマート後期にあたり,西欧化改革の推進につとめたが,バルカン諸民族のあいつぐ蜂起,クレタ問題(1866‐69),外債累積による帝国財政の破綻(1875)など政局は困難をきわめ,晩年は豪奢なヨーロッパ旅行,離宮の建設などによる浪費と専制政治を,ナムク・ケマルらの自由主義運動家たちによって批判され,廃位された。その直後の彼の死は自殺か毒殺論争のまととなっている。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のアブデュルアジーズの言及

【タンジマート】より

… タンジマートは,結局,国家的諸制度の〈近代化〉を促進したが,その成果は同時にヨーロッパ諸国の帝国に対する経済的進出,すなわち帝国の経済的植民地化を保証するものともなった。このため,1860年代末以後改革はしだいに後退し,70年代に入ると,スルタン,アブデュルアジーズ(在位1861‐76)は専制化した。これに対してナムク・ケマルミドハト・パシャら〈新オスマン人〉による批判が強まり,76年に〈ミドハト憲法〉が発布されてオスマン帝国は第1次立憲政を迎え,タンジマートは終息した。…

【ミドハト・パシャ】より

…1872年には大宰相(サドラザム)に任じられたが,わずか3ヵ月で辞任した。その後,スルタンに疎まれて不遇時代を送ったが,76年5月,軍隊の協力も得てスルタン,アブデュルアジーズの退位,ムラト5世の即位に成功した。その後さらに,アブデュルハミト2世を即位させて憲法の起草に努力し,76年12月には自ら大宰相となり,アジアで最初の憲法(ミドハト憲法)を発布した。…

※「アブデュルアジーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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