ウィントンマルサリス(その他表記)Wynton Marsalis

現代外国人名録2016 「ウィントンマルサリス」の解説

ウィントン マルサリス
Wynton Marsalis

職業・肩書
ジャズ・トランペット奏者

国籍
米国

生年月日
1961年10月18日

出生地
ルイジアナ州ニューオリンズ

学歴
ジュリアード音楽学校

受賞
ピュリッツァー賞(音楽部門)〔1997年〕「ブラッド・オン・ザ・フィールズ」,ハーベイ・ヒャピロ賞,グラミー賞ジャズ・アーティスト・オブ・ジ・イヤー〔1983年〕,グラミー賞(ジャズ部門,クラシック部門)〔1984年・1985年〕,グラミー賞(ソロ部門,グループ部門)〔1986年〕,グラミー賞ベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス・グループ賞〔1987年〕「Jムード」,ジャズ・ディスク大賞金賞〔1988年〕「スタンダード・タイム」,ニューオリンズ名誉市民〔1981年〕,ジャズ・ディスク大賞(第29回)〔1996年〕「至上の愛」,ミュージック・ペンクラブ賞(コンサート・パフォーマンス賞,1998年度),ジャズ・ディスク大賞(金賞,第39回)〔2006年〕「スタンダード・ライヴ」

経歴
ジャズの名門マルサリス一家の二男。6歳からトランペットを始め、12歳でニューオリンズ・センター・フォー・クリエイティブ・アーツに入学、クラシックの勉強に励む。14歳でクラシックのソロ・コンテストに優勝。1977年再び全国コンクールで優勝。’79年ジュリアード音楽学校入学のためニューヨークに移りその直後からブロードウェイミュージカル「スイニー・トッド」のピット・ミュージシャンやブルックリン交響楽団のメンバーとして演奏活動を始める。’80年アート・ブレイキーのツアーのビッグ・バンドのオーディションに合格、ジャズ・ミュージシャンとして本格的にデビュー。ツアー終了後そのままメッセンジャーズのレギュラーメンバーとして残留。同年CBSと契約。’81年ハービー・ハンコック・カルテットに参加、デビュー・アルバム「マルサリスの肖像」が全米にセンセーションを巻き起こした。3月メッセンジャーズを退団、6月レギュラー・クインテットを結成しプレイボーイ・ジャズ祭でデビュー。以後目指ましい活躍で’83年以降は毎年グラミー賞を受けるようになる。’86年にはレーガン大統領からホワイトハウスへ招待を受けた。’97年ジャズプレーヤーとして初めてピュリッツァー賞を受賞。アルバムに「スターダスト」「ブラック・コーズ」「ラヴ・トゥ・スイング」、ニューヨーク・シティ・バレエ団のバレエに音楽をつけたビデオ「アクセント・オン・ザ・オフビート」などがある。2001年国連平和大使に任命される。1981年初来日以後数度来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ウィントンマルサリス」の解説

ウイントン マルサリス
Wynton Marsalis


1961.10.18 -
米国のジャズ・トランペット奏者。
ニューオリンズ生まれ。
ピアニストで音楽教育者の父エリスの次男として生まれる。12歳でニューオリンズ・センター・フォー・クリエイティヴ・アーツに入学し、14歳の時クラシック・ソロ・コンテストで全国コンクール少年少女の部で優勝し、ハイドンの「トランペット協奏曲」をニューオリンズ交響楽団と共演。1980年アート・ブレイキーのビッグ・バンドで欧米ツアーでジャズデビュー。’81年初来日し、デビュー・アルバム「マルサリスの肖像」の一部を東京で録音し、’82年全米で発売されセンセーションを巻き起こす。同年ニューオリンズ市名誉市民に選出。その後グラミー賞を’83年、’84年、’85年、’86年、’87年と連続して受賞し数々の賞に輝く。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィントンマルサリス」の意味・わかりやすい解説

ウィントン・マルサリス
うぃんとんまるさりす

マルサリス

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android