日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルサリス」の意味・わかりやすい解説
マルサリス
まるさりす
Wynton Marsalis
(1961― )
アメリカのジャズ・トランペット奏者。ニュー・オーリンズに、音楽教育者でもあるピアノ奏者エリス・マルサリスEllis Marsalis(1934―2020)の息子として生まれる。兄ブランフォード・マルサリスBranford Marsalis(1960― )はサックス奏者、弟デルフィーヨ・マルサリスDelfeayo Marsalis(1965― )はトロンボーン奏者。6歳でトランペットを贈られ8歳でバプティスト教会の楽隊に加わり演奏を始める。12歳のとき、父がディレクターを務めるバプティスト・センター・フォー・クリエイティブ・アーツに入学し、クラシック音楽を学ぶ。14歳でクラシック音楽のコンテストに出場し少年部門で優勝、ニュー・オーリンズ交響楽団とハイドンの「トランペット協奏曲」を共演する。このころよりトランペット奏者クリフォード・ブラウンのアルバムを聴きジャズにも関心を示すが、1977年再度クラシックのコンテストで優勝、高校時代はニュー・オーリンズ市民オーケストラのファースト・トランペット奏者を務める。1979年ジュリアード音楽院入学のためニューヨークに行き、ただちにブルックリン交響楽団メンバーとして音楽活動を行う。
1980年ドラム奏者アート・ブレーキー率いるジャズ・メッセンジャーズに参加、アルバム『ジャズ・メッセンジャーズ・フィーチャリング・ウイントン・マルサリス』で衝撃的なジャズ・ミュージシャンとしてのレコード・デビューを果たす。1981年(昭和56)ピアノ奏者ハービー・ハンコックのカルテットの一員として来日、このとき初リーダー・アルバム『ウイントン・マルサリスの肖像』を録音、翌1982年全米発売とともに話題を呼び、『ビルボード』Billboard誌チャート上位に長期間ランクされる。同年、兄ブランフォードを従えたレギュラー・クインテットを結成し、ロサンゼルスのプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルに出演、その後ヨーロッパ・ツアーを行いロンドンではクラシック・アルバムも録音する。1983年グラミー賞「ジャズ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」受賞、1984年グラミー賞ジャズ、クラシック2部門制覇、当時の大統領ロナルド・レーガンよりホワイト・ハウスへ招待を受ける。1985年、2年連続でグラミー賞ジャズ、クラシック両部門受賞。
1988年、音楽のための非営利組織である「ジャズ・アット・リンカーン・センター」の芸術監督に就任、ハウス・ビッグ・バンドである「リンカーン・センター・ジャズ・オーケストラ」を率いて演奏活動を行う。1997年ジャズ・ミュージシャンとして初めてピュリッツァー賞を受賞。そのほかの代表作に『Jムード』(1985)、『スタンダード・タイムVol. 1』(1986)、『ザ・マジェスティ・オブ・ザ・ブルース』The Majesty of the Blues(1988)がある。
彼は高い技術力をもつが、マイルス・デービスの後期の音楽を否定するなどのジャズに対する保守的な姿勢が、ジャズ・ピアニスト、キース・ジャレットから批判を受けるなど、その評価は一様ではない。しかし彼の社会的成功が、黒人の社会的地位向上のシンボルとみなされたことは否定できない。
[後藤雅洋]