オーストラリア自由党(読み)オーストラリアじゆうとう(英語表記)Liberal Party of Australia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オーストラリア自由党」の意味・わかりやすい解説

オーストラリア自由党
オーストラリアじゆうとう
Liberal Party of Australia

オーストラリア政党。1944年統一オーストラリア党の後継組織としてロバート・ゴードン・メンジースによって創設された。都市の資本家階層を支持基盤とする保守政党で,反社会主義,反共産主義党是として掲げ,外交政策も親米色が濃い。1949年12月の総選挙で第一党となり初めて政権の座についた。1951年4月以降地方党と連立政権を組み,長期安定政権を誇ったが,ベトナム戦争参戦への批判などから 1972年12月の総選挙で敗れ,下野した。しかし 1975年12月の総選挙で大勝して地方党と連立して政権に復帰。このマルコムフレーザー保守連合政権は 1977年,1980年と選挙で勝利し,政権を継続したが,1983年総選挙でオーストラリア労働党に敗れた。その後 5期にわたり労働党の政権を許したが,1996年3月の総選挙で 13年ぶりに政権を奪回し,オーストラリア国民党との保守連合によるジョン・ウィンストン・ハワード内閣が発足した。1998年10月の総選挙では保守連合が辛くも過半数議席を獲得し,第2次ハワード連立政権を発足させた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android