フレーザー(読み)ふれーざー(英語表記)Simon Fraser

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フレーザー」の意味・わかりやすい解説

フレーザー(Sir James George Frazer)
ふれーざー
Sir James George Frazer
(1854―1941)

イギリスの古典学者、人類学者、民俗学者。『金枝篇(へん)』の著者として名高い。グラスゴーの富裕な商人の家に生まれ、グラスゴー大学で古典学を学んだのち、人類学者E・B・タイラーの『原始文化』を読んで感動して人類学を志し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで東洋学者ロバートソン・スミスWilliam Robertson Smith(1846―1894)のもとで民俗学、神話学を専攻した。1879年に同大学の特別研究員となり、1921年には同大学教授に就任した。ヨーロッパ各地の大学から名誉学位を受け、英国学士院の会員でもあった。

 師であるロバートソン・スミスから比較の方法を受け継いだフレーザーは、自分で調査地に赴くことはせず、世界各地の宣教師たちから集めた膨大な資料を比較整理して、呪術(じゅじゅつ)、宗教の起源とその進化を論じた。主著『金枝篇』(全13巻)のなかで、呪術から宗教へ、そして科学へという、人間の思考様式の進化理論を展開し、呪術は技術的行為によって現象を統御しようとする試みである点では科学に似ているが、それは間違った因果律に基づく誤った科学であり、その誤りが認識されて宗教が生まれると論じた。また、呪術が霊的存在を統御しようとするのに対して、宗教は霊的存在に懇願するものであるとして両者を峻別(しゅんべつ)した。この呪術と宗教という二分法はその後の人類学において長く認められることになったが、現在ではその両者は分かつことのできない複合体であると考えられ、呪術から宗教、科学へという進化図式も否定されるに至っている。しかしながら、未開文化の風俗習慣、信仰を同時代の広範な知識人たちに知らしめ、大きな関心を呼び起こしたフレーザーの存在は、思想史上において大きな意義をもつ。その他の著書は『トーテミズムと外婚制』(1910)、『不死信仰と死者崇拝』(1924)、『旧約聖書フォークロア』(1918)、『自然崇拝』(1926)、『火の起源についての神話』(1930)など。

[上田紀行 2016年10月19日]

『秋山武夫他訳『旧約聖書のフォークロア』(1976・太陽社)』『永橋卓介訳『金枝篇』全5冊(簡約1巻本の訳、岩波文庫)』『藤井正雄著『フレーザーの理論』(『現代文化人類学のエッセンス』所収・1978・ぺりかん社)』


フレーザー(Simon Fraser)
ふれーざー
Simon Fraser
(1776―1862)

カナダの探検家、毛皮商人。ニューヨークに生まれ、王党派の父が獄中で死んだのち、ケベックに移住。16歳のとき、北西会社で働くようになり、1805年以降、ロッキー山脈以西の貿易担当者になる。通商ルートを求めてフレーザー川上流、現在のブリティッシュ・コロンビア州の奥地を探検、各地に駐屯所を設営。08年にはフレーザー川を河口近くまでたどった。10年より、ハドソン湾会社が北西会社の勢力地帯のレッドリバー流域(アメリカからカナダに向かって流れる)に進出してきたため、両社間に争いが起こる。当時同地方担当だったフレーザーも、16年、当地で起こったセブンオークス大虐殺に関与したとの疑いで逮捕された。のち釈放されたが、20年同社を退社。フレーザー川の名は彼の名からとったもの。

[越智道雄]


フレーザー(George Sutherland Fraser)
ふれーざー
George Sutherland Fraser
(1915―1980)

スコットランドの詩人、批評家。グラスゴーに生まれ、セント・アンドリューズ大学卒業後『アバディーン・プレス・アンド・ジャーナル』紙の記者。第二次世界大戦中、1939年から45年までカイロで軍務のかたわら、軍の刊行物に寄稿するなど情報省のために働く。戦後ロンドンの各種文芸誌、文芸新聞で活躍。50年から翌51年にかけて、エドマンド・ブランデンの後任イギリス文化使節として来日。64年以後はレスター大学で現代英文学を講じる。現代詩や現代作家に関する優れた解説書が多い。レスターで没。

[羽矢謙一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フレーザー」の意味・わかりやすい解説

フレーザー
Fraser, Malcolm

[生]1930.5.21. メルボルン
[没]2015.3.20.
オーストラリアの政治家。首相(在任 1975~83)。オーストラリア自由党党首。フルネーム John Malcolm Fraser。オックスフォード大学モードリン・カレッジに学び,1955年に自由党から立候補して国会議員に選出された。自由党と地方党(→オーストラリア国民党)の連立政権陸軍大臣(1966~68),教育科学大臣(1968~69,1971~72),国防大臣(1969~71)を歴任。1975年3月に自由党の党首選挙で当選し,オーストラリア労働党政権のガフ・ホイットラム首相が罷免された 1975年11月,首相に指名され就任した。同年 12月の選挙で自由党と国民地方党が大勝したことにより首相としての地歩を固め,両党の連立内閣を再度組織した。インフレーション抑制のため,歳出の削減,労働組合の大幅な賃上げ要求の阻止などの措置を講じた。またアンザス条約のもとでオーストラリアの防衛上の責務を重視した。フレーザー政権は 1977年と 1980年の選挙にも勝利したが,1983年3月の選挙で労働党に敗れた。フレーザーはただちに党首の座を退き,まもなく国会議員も辞職した。

フレーザー
Frazer, Sir James George

[生]1854.1.1. グラスゴー
[没]1941.5.7. ケンブリッジ
イギリスの人類学者,民族学者,古典文献学者。グラスゴー,ケンブリッジの各大学に学び,1907年ケンブリッジ大学社会人類学教授。 E.タイラーや W. R.スミスの影響で比較宗教学的関心をいだき,1890年『金枝篇』 The Golden Bough (3版,12巻,1907~15,省略版,1巻,22) を出版,呪術と宗教を区別して,思考様式の発展を呪術→宗教→科学と段階づけた。その研究はすべて文献に基づいたものであり,フィールドワークの欠落によるその恣意性がしばしば指摘される。しかし文学と人類学の広い範囲で果した貢献は大きく,数々の賞を得,1914年にナイトの称号を与えられた。ほかに『トーテミズムと外婚制』 Totemism and Exogamy (1910) ,『旧約聖書のフォークロア』 Folk-Lore in the Old Testament (18) など。

フレーザー
Fraser, Simon

[生]1776. ニューヨーク,ベニントン
[没]1862.4.19. アッパーカナダ,セントアンドルーズ
カナダの毛皮商人,探検家。王党派 (ロイヤリスト ) の家に生れ,1784年カナダに移住。 92年に北西会社に入社し,1805年よりロッキー山脈以西の毛皮交易を担当。太平洋への交易路の発見に努力していた彼は,08年フレーザー川を下降。この川に彼の名が冠された。 11年レッド川周辺を担当することになり,敵対するハドソン湾会社の支援するレッドリバー植民地と衝突,16年のセブンオークスの虐殺への加担を疑われ,裁判にかけられたが,無罪となった。 18年に毛皮交易,探検より引退。

フレーザー
Fraser, Peter

[生]1884.8.28. ロス・クロマーティ,ファーン
[没]1950.12.12. ウェリントン
イギリス生れのニュージーランドの政治家。靴屋の子に生れ,大工の弟子を経て 1910年ニュージーランドに移住,港湾労働者となった。労働運動に入り,労働党結成に参画。 18年国会議員。 33~40年労働党副党首。 35~40年 M.サベージ首相のもとで警察相,文相,厚相を歴任,特に社会保障に力を尽した。 40年4月サベージの死後,首相。第2次世界大戦下および戦争直後のニュージーランドを指導。 45年の国際連合創設会議,46年の国連総会などで活躍。 49年選挙に敗れ下野した。

フレーザー
Fraser, George Sutherland

[生]1915.11.8. グラスゴー
[没]1980.1.3
イギリスの詩人,批評家。レスター大学英文学講師。 1930年代の政治的傾向に反発する「新黙示派」の詩人として出発,第2次世界大戦後イギリスの文化使節として訪日,東京大学その他での講義が『現代作家とその世界』 The Modern Writer and His World (1953) となった。『故郷の哀歌』 Home Town Elegy (1944) などの詩集のほか,評論集『幻想と修辞』 Vision and Rhetoric (1959) ,イェーツ論,パウンド論,日本印象記などがある。

フレーザー
Fraser, Bruce Austin, 1st Baron Fraser of North Cape

[生]1888.2.5. モルージ
[没]1981.2.12. ロンドン
イギリスの海軍軍人。 1902年海軍に入り,第1次世界大戦には砲術将校として活躍。 33年に海軍軍需品部長となり,第2次世界大戦では海軍の拡張に尽力。 43年 12月旗艦『デューク・オブ・ヨーク』に乗船,ドイツ戦艦『シャルンホルスト』をノルウェーのノースケープ沖で撃沈した。 44年海軍大将としてイギリス太平洋艦隊を指揮し,45年9月東京湾上で日本の無条件降伏の書類に調印。 46年貴族に列せられ,48年元帥,48~51年海軍本部委員長 (軍令部長) 。

フレーザー
Fraser, Claude Lovat

[生]1890.5.15. ロンドン
[没]1921.6.18. サンドゲイト
イギリスの画家,舞台美術家。幻想的でロマンチックな舞台装置で知られ,ドラマ,バレエ,オペラの各分野で活躍。代表作は 1920年のリリック劇場における『お気に召すまま』『乞食オペラ』の装置。

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