日本大百科全書(ニッポニカ) 「コシュトゥニツァ」の意味・わかりやすい解説
コシュトゥニツァ
こしゅとぅにつぁ
Vojislav Kostunica
(1944― )
セルビアの政治家。ベオグラードに生まれる。ベオグラード大学法学部博士課程を修了後、同大で教壇に立つが、憲法改正をめぐって当時の指導者チトーを批判したため、1974年、大学を追放された。89年、民主党(DS)の創設に参加、92年には同党から分離してセルビア民主党(DSS)を創設、党首に就任した。2000年9月のユーゴスラビア連邦(新ユーゴ)大統領選挙に、18野党からなるセルビア野党連合(DOS)の統一候補として出馬。当時大統領のミロシェビッチを抑えて勝利し、同年10月、大統領に就任した。「穏健民族主義者」とよばれ、北大西洋条約機構(NATO)によるユーゴスラビア空爆(1999)に対しては批判的な態度をとり続けた。
その後、新ユーゴスラビアは、2003年2月公布の新憲法(憲法的憲章)に基づき、セルビア、モンテネグロ両共和国の行政権を大幅に拡大した、より緩やかな連合国家the State Unionへ移行、国名を「ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)」から「セルビア・モンテネグロ」へと改称。この連邦再編に伴い、コシュトゥニツァは大統領を失職。しかし、同03年12月のセルビア共和国議会選挙の結果、セルビア民主党とG17プラスを中心とした民主派連合政権が発足し、翌04年3月コシュトゥニツァは首相に就任する。
さらに、2006年6月、モンテネグロの独立により、セルビアはセルビア・モンテネグロの承継国となり、国家機構の再編が進められるなか、コシュトゥニツァ政権は、EU(ヨーロッパ連合)加盟を最優先事項とし、ヨーロッパ諸国との関係強化、国際社会との強調、経済改革に取り組むが、コソボ問題、急進的民族主義の台頭など課題を抱える。