コスグレーブ(英語表記)Cosgrave, Liam

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コスグレーブ
Cosgrave, Liam

[生]1920.4.13. テンプルオーグ
[没]2017.10.4.
アイルランドの政治家。首相(在任 1973~77)。アイルランド自由国大統領ウィリアム・トーマス・コスグレーブ在任 1922~32)の長男として生まれた。ダブリンのキャスルノック大学,法曹学院キングズインを卒業。1943年弁護士を開業,同年父の率いるフィン・ゲール党統一アイルランド党)に参加し,アイルランド国民議会議員となった。1948~51年首相通商産業大臣公設秘書を兼務した。1954年に政権が交代すると外務大臣に就任,1957年までその任にあたった。1956年国連総会初代アイルランド代表となる。1965年フィン・ゲール党党首に就任。1973年の総選挙後,首相に就任。同 1973年12月,北アイルランド問題に関する南北アイルランドとイギリスの三者会談がイギリスのサニングデールで行なわれ,主要メンバーとして出席した(→北アイルランド紛争)。1977年,総選挙でフィン・ゲール党が敗れて退陣した。1981年政界を引退。

コスグレーブ
Cosgrave, William Thomas

[生]1880.6.6. ダブリン
[没]1965.11.16. ダブリン
アイルランドの政治家。アイルランド自由国大統領(在任 1922~32)。1909年ダブリン市議会議員となり,のちにシン・フェーン党党員として再選。1916年の復活祭蜂起に参加。1917年キルケニー市議会議員。翌 1918年の選挙でシン・フェーン党が圧倒的な勝利を収めると,非合法のアイルランド共和国初の議会であるアイルランド国民議会の議員となり,地方行政大臣に就任。1921年のイギリス=アイルランド条約を支持してアイルランド自由国暫定政府の地方行政大臣となった。1922年マイケル・コリンズに代わって暫定政府の首相となり,アーサー・グリフィスの急死後アイルランド国民議会議長となった。1922年12月アイルランド自由国行政評議会議長(大統領)。就任後は国際連盟の会議やイギリス帝国会議にアイルランドの代表者として出席した。1932年の総選挙でエアマン・デ・バレラが決定的な勝利を収め,大統領の座を退いた。1933年ゲール同盟ほか 2党を合併してフィン・ゲール党を結成し,1944年まで党首を務めた。

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