デ・バレラ(読み)でばれら(英語表記)Eamon de Valera

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デ・バレラ」の意味・わかりやすい解説

デ・バレラ
でばれら
Eamon de Valera
(1882―1975)

アイルランド独立運動の闘士で、独立後、首相、ついで大統領になる。ニューヨーク生まれ。父はスペイン人、母がアイルランド人。ダブリンの大学で数学を学び教師になったが、ゲール語復興運動に加わり、1913年アイルランド義勇軍に参加した。1916年のイースター蜂起(ほうき)ではボランド製粉工場を占領して、南からのイギリス援軍を阻止した。捕らえられ、いったん死刑を宣告されたが、世論の批判で減刑されて1917年に釈放された。国民議会樹立(1919)のときはふたたび獄中にあったが大統領に選ばれた。アイルランド自由国の設立を決めた条約に反対して下野、条約派と共和派の内戦に際しては後者を支持したが、1923年には内戦を終結させた。1926年に新党フィアナ・フォイル(共和党)を結成して自由国議会に復帰、1932年の総選挙で勝利して首相に就任した。すぐにイギリスへの土地代金支払いを拒否して経済戦争に入った。1937年に憲法を制定して、アイルランドを主権をもった国家「エール」とした。1949年共和国になってからも首相を歴任、さらに大統領を2期務めた。

[堀越 智]

『松尾太郎著『アイルランド民族のロマンと反逆』(1994・論創社)』『波多野裕造著『物語アイルランドの歴史』(中公新書)』『堀越智著『アイルランド民族運動の歴史』(1979・三省堂)』『R・フレシュ著、山口俊章・山口俊洋共訳『アイルランド』(白水社文庫クセジュ)』『オフェイロン著、橋本槙矩訳『アイルランド――歴史と風土』(岩波文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「デ・バレラ」の意味・わかりやすい解説

デ・バレラ
Eamon De Valera
生没年:1882-1975

アイルランドの民族主義的政治家。アメリカのニューヨーク市で生まれ,父の死により3歳のときからアイルランドの母方祖母のもとで育てられた。数学教師として教壇に立つ一方,ゲーリック協会に加盟し,民族主義運動を続けた。1916年のイースター蜂起では義勇軍指揮官としてイギリス軍と戦い,敗れて死刑を宣告されるが,アメリカ生れのため17年に釈放された。その後の独立闘争でも一貫して指導的役割を果たした。アイルランド自由国成立後,一時期はこれを拒否したが,やがて国会に復帰し,32年から首相(1932-48,51-54,57-59)を務めた。この間,イギリスとの経済戦争,憲法改正,第2次世界大戦における中立政策などを推し進めてアイルランドの経済的・政治的自立に力を注ぎ,また,戦前には国際連盟総会議長を務めて小国の国際政治における地位の確立に貢献した。59年から73年までは連続2期大統領を務めた。夫人S.デ・バレラ(1878-1975)は文学者として著名である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デ・バレラ」の意味・わかりやすい解説

デ・バレラ
De Valéra, Éamon

[生]1882.10.14. ニューヨーク
[没]1975.8.29. ダブリン
アイルランドの政治家。スペイン人の芸術家の子として生れたが,父の死とともにアイルランドの母の実家に引取られた。ロイヤル大学卒業後,アイルランド独立運動に入り,1916年復活祭蜂起に指揮官として参加,捕えられた。アメリカ国籍のためかろうじて銃殺刑を免れたが再三投獄され,17年獄中でシン・フェーン党党首に選ばれ,同年末の総選挙で圧勝。 19年設立されたアイルランド国民議会の議長,次いでアイルランド自由国の大統領に選ばれたが,21年自治領としてのアイルランド独立に反対して辞任。 24年アイルランドの完全独立を目指す共和党 (フィアンナ・フェール党) を創設。 32年の総選挙に勝ち首相に就任。イギリスと関税戦争を展開するなど激しい闘志を燃やし,37年エドワード8世の退位を機に完全独立を宣言,国名をアイルランドの古名にちなんでエール共和国と改めた。第2次世界大戦中は中立政策に徹したが 48年の総選挙で敗れ下野。 51~54,57~59年首相に就任。 59年大統領に再選,73年大統領選挙に敗れ辞任。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「デ・バレラ」の意味・わかりやすい解説

デ・バレラ

米国生れのアイルランドの政治家。早くから反英独立運動に参加,1916年イースター蜂起(ほうき)を指導,以後シン・フェーン党の指導者となった。1932年アイルランド自由国首相,1937年独立とともに初代首相,1959年―1973年2期連続大統領を務める。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のデ・バレラの言及

【アイルランド】より


[アイルランド共和国]
 自由国政府は発足当初から経済発展に力を注いだ。1932年にはデ・バレラの率いるフィナ・フォイルが組閣し,土地購入代金のイギリスへの返済を拒否して対英経済戦争(1932‐38)をおこし,その代金を国内政策に振り向けるなど,経済の立直しにあたった。この間37年には憲法を制定して全島を国土とする〈主権をもつ独立民主国家〉と宣言し,大統領を元首とし,国名をアイルランド語でエール(英語でアイルランド)と定めた。…

【シン・フェーン党】より

…第1次大戦に際して徴兵反対運動を起こし,にわかに支持を集めたが,1916年のイースター蜂起では,直接にはかかわりをもたなかった(ただし,この蜂起を鎮圧側はシン・フェーン反乱と呼んだ)。17年春,デ・バレラが議長に就任し,目標を独立共和国の樹立に定める新しい運動が展開された。18年の総選挙で圧倒的支持を得たシン・フェーン議員は,ウェストミンスター議会に出席することを拒み,19年1月ダブリンで第1回国民議会を開催,独立宣言を採択し,デ・バレラを大統領に選出した。…

※「デ・バレラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android