コンスタンティノープル総主教(その他表記)Patriarch of Constantinople

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

コンスタンティノープル総主教(コンスタンティノープルそうしゅきょう)
Patriarch of Constantinople

初めは小主教区の主教にすぎなかったが,コンスタンティノープルが首都になると重要性を増し,第2回全教会会議ローマに次ぐ名誉の地位を得,第4回全教会会議では総主教となり,トラキア,アシアーナ,ポンティカを管轄下に置いた。457年レオ1世に戴冠して権威を高め,518年ヨアニス2世は全総主教(イクメニコス・パトリアルヒス)と称し,ローマ教皇の首位権主張に対抗した。7世紀に他の東方総主教区がイスラーム教徒の手に落ちると,東方における権威はさらに高まり,イコン破壊運動のとき,管轄下にシチリア,南イタリア,ギリシア,東イリリクム,クレタ島を加えた。ビザンツ帝国滅亡後はスルタンのもとで被征服キリスト教徒の首長とされた。トルコの近代化と1922年における小アジアのギリシア人の移住の結果,総主教の権威は低下し,象徴的なものとなり,総主教の裁治権が実際に及ぶ地域はわずかとなった。

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

コンスタンティノープル総主教
コンスタンティノープルそうしゅきょう
Patriarches

8世紀の中ごろからギリシア正教会を管轄する首長
聖像崇拝禁止を強く主張するレオン3世の時代以降,ビザンツ皇帝がギリシア正教会を掌握する皇帝教皇主義が確立し,事実上コンスタンティノープル総主教の任命権を皇帝がもった。

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