ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオ1世」の意味・わかりやすい解説
レオ1世
レオいっせい
Leo I
[没]461.11.10. ローマ
トスカナ出身とされる第45代教皇(在位 440~461)。聖人。グレゴリウス1世らとともに大教皇と称される。聖俗両面で傑出し,登位前から著名だった。治世の 21年間は古代から中世への転換期にあたる。452年のフン民族,455年のバンダル族と 2度にわたって異民族の侵入を退け,西ローマ帝国が解体するなかで教皇権の威信を高めた。教会内では,ペラギウス説,マニ教,プリスキリアヌス派(→プリスキリアヌス)などの異端の排斥に尽力。449年にコンスタンチノープル総大主教フラビアヌスに宛てた教書のなかで,キリストの神性と人性の統一を明瞭に規定し,エウテュケス派などのキリスト単性説を退けた。ペテロの後継者としての教皇の優越性を自覚し,司教たちに従属を求め,教皇首位説の古典的淵源となった(→教皇の首位権)。現存する 432通の書簡と 96の説教はラテン語の古典に数えられる。1754年に教会博士とされた。祝日は西方教会では 11月10日,東方教会では 2月18日。
レオ1世
レオいっせい
Leo I
[没]474.2.3.
ビザンチン皇帝 (在位 457~474) 。トラキア人。軍人として頭角を現し,F.アスパルに見出され,マルキアヌス帝の死後コンスタンチノープルで皇帝に推戴された。アスパルは彼を傀儡帝とするつもりだったが,彼はそれを拒否,抗争して 471年にはアスパルを倒した。その前,西方帝アンテミウスを援助して,義弟バシリスクスをつかわし,ともにアフリカのバンダル族と戦ったが,ガイゼリック王に敗れ,莫大な損失をこうむり (468) ,財政の窮乏を招いた。
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